
武蔵境から日本を変える。
「触れ合い」、「支え合い」、「守り合い」の町へ。
社会福祉学者 川村匡由さん
2010年4月取材
プロフィール
川村匡由(かわむら・まさよし)さん
静岡県出身。武蔵野大学大学院教授、「福祉デザイン研究所」代表。群馬医療福祉大学大学院や沖縄国際大学大学院でも講師を務めるほか、地域福祉活動などに関するコメントで、テレビや新聞などメディアにも出演している。近著は「施設マネジメント論―福祉サービスの組織と経営」。西東京市と東久留米市には過去に在住していた。
川村匡由HP
さる2008年11月、地域サロン「ぷらっと」(武蔵野市境3の12の10)を開設。地域の高齢者などが集まるだけではなく、福祉などについての勉強会を開いている。「現代日本は高齢社会。これ以上、高齢者が孤立しないように今から地域に福祉を根づかせていきたい」と地域福祉の重要性について話す。
地域福祉の発信基地を目指す
――地域サロン「ぷらっと」の活動内容を教えてください。
地域の高齢者の居場所としてだけでなく、福祉などについての情報収集ができる「地域福祉の発信基地」として活動しています。現在、一人暮らしの高齢者やケアマネジャー、福祉問題の研究者たちが来て、お茶を飲みがら会話を楽しむ「ふれあいカフェ」や、福祉や年金についての知識を深める「勉強会」、ほかにも山登りなどのイベントを開いています。「ふれあいカフェ」は200円ドリンク付きで、朝から夕方までいてもらうことができます。
――公民館など公共施設との違いはなんでしょうか。
公民館などで部屋の貸し出しを行っていますが、予約が必要です。さらに言えば、予約をした先客がいると使えませんし、時間制限もあります。“福祉”という視点から見れば、仲間がいていつでも利用できる“居場所”が大事なんですね。それをやっていこうと。今はまだ人員的な問題もあり、土日しか開放していませんが、ゆくゆくは毎日開放して、この地域の宅老所としての役割を担っていきたいと思っています。今はそのための土壌づくりやネットワークを広げている段階ですね。
「ぷらっと」という名前には、歩いて“ぷらっと”来られるということと、駅の「プラットホーム」のように人が集まり、情報を共有できる場所という意味を込めました。
地域福祉は、全世代が抱える問題。
支え合いのシステムをつくっていく。
――「ぷらっと」をオープンした背景には地域福祉の問題があるということですが、今回の開設にはどのような意図があるのでしょうか。
福祉というのは、高齢者だけの問題ではないんですね。だれもが年をとるという意味では、全世代が抱えている問題なんです。それを意識しないと、将来的に「限界集落」と呼ばれる状態になってしまう。
――65歳以上の高齢者が人口の50%以上を占めた状態ですね。地域の“社会”としての活動が困難とされるほか、孤独死の懸念が高まっています。
だから、元気なうちに福祉に関わって、困っている人に手を差し出す。自分が逆の立場になった時には次の世代の人に助けてもらう。そういうシステムづくりを地域単位でつくっていく必要があるんじゃないかと。地域の住民が繋がって助け合う、それが地域福祉だと思っています。これは、災害時に地域の人びとがどれだけ連携できるかということにも言えます。
――現在、そういった地域の関係の希薄さが問題とされていますね。
今でも孤独死などの問題がありますけど、このままでは今以上に多くの人が地域から孤立してしまいますよ。それを解消するには、自治体や私たちのような研究者が働きかけていかなければと思っています。
そのためにも、まずは現状を変えていくきっかけや、足がかりの場をつくることが大事ですね。そういった場ができれば有志も次第に集まってくるとは思うんですが、今はその場所すらない状態です。そういった理由もあり、実家のある西東京市から近い武蔵境に「ぷらっと」を開設しました。
新聞記者から社会福祉学者へ
42歳からの再スタート
――川村さんは新聞記者として働いていたということですが、なぜ、社会福祉を研究することになったのでしょうか。
私は司法記者として働いていましたが、それがきっかけで司法試験の勉強をしていた時期がありました。当時の司法試験の選択科目のひとつに「社会政策」があったんです。それが社会保障の問題に目覚めた最初の理由だと思っています。
その後、紙面で老後の問題を扱うページを任されたんです。ちょうどその時、現行の「2階建て年金制度」がスタートしたということもあり、私の仕事と世間の関心が一致したのでしょう。講演の依頼が来たり、年金に関しての著書を何冊か書かせてもらったりして、だんだんと社会保障や老人福祉の研究者になりたいと考えるようになったんです。
それからは研究を重ねて学会でも毎年論文を発表するなどして、42歳の時に記者の仕事を辞めました。当時、すでに大学で講師の仕事をしていたこともあって、なんとかやっていけるだろう、と。
――学者というと研究が主な仕事だと認識していますが、なぜ、「ぷらっと」を開設したのでしょう。
「ぷらっと」は地域サロンであると同時に、私が研究したことを実践する場所でもあるんです。研究者は、自分が出した理論を実践するべきだと思うんですよ。実践して理論を再検証する。その繰り返しだと。
理論を発表するだけで終わるのではなくて、そこで問題としているものをどう解決していくか。国や自治体を巻き込むのか、仲間を動かすのか。要は市民活動ですよね。自分が率先して地域の方々と活動することで、終(つい)の住処となる地域を少しでも良いものにしていきたい。ささやかな幸せを感じながら、暮らしていけるようにしていきたいんです。
市民が主体の地域づくり。
高齢社会は待ってくれない。
――地域福祉という観点から見て、武蔵境周辺の地域ではどのような問題を抱えているのでしょうか。
この地域には、高齢者たちの居場所となるような施設がほとんどないんです。そうすると、将来孤立する高齢者が今以上に増えていってしまう。急病や災害になった時、誰とも関わり合いがないと異変に気付いてくれる人や助けてくれる人がいない。そういう環境をつくってしまうことになります。
体育館と図書室が併設された武蔵野市・西部コミュニティセンター(境5丁目)は、平日午前9時30分から午後9時30分(一部時間帯除く)まで自由に出入りできますけど、本当にそこくらいしかない。同じく市が委託して行っているテンミリオンハウスもありますが、駅から遠い。宅老所や地域サロンが徒歩5分から10分圏内にあるのが理想なんですが……。
――市民でもある川村さん自らが地域サロンの開設に踏み切ったのはなぜでしょうか? 本来は行政がやっていくものではないかと思いますが。
市民自治というものをこれから真剣に考えていく必要があると思っています。行政が先頭を切っていければもちろん、それがいいんですけど、行政に頼りっぱなし、任せっぱなしでは市民は育っていかないでしょう。同時に行政を待っているだけでは遅いんじゃないかと思っています。高齢社会はますます進んでいくし、時間は待ってくれませんから。
もちろん、行政がやるようなことを市民の手でやっていくというのは大変なことです。それは、資金のこともそうですし、人員の確保もそうです。そういう志を持った市民がボランティア精神でやっていくしかないんですね。でも、そういう人たちが集まってくることによって、市民社会というものがつくられていくんです。
行政というのは中立の立場にあり、限られた財源の中で慎重に配分せざるを得ませんから。そこで、市民がただ行政に依存するだけではなく、自主的に運営をしていくことも大事だと思います。それで実績を認めてもらえれば、補助金が出ることもあります。
――市民の力で行政を動かしていくことが大事なんですね。
地域づくりは、市民が主体であるべきだと思っています。一人ひとりが地域にとっての主人公ですから。これからのまちづくりというものをしっかり考えていかないと。できれば、次の世代を引っ張っていく求心力のある団塊世代の人たちに活躍してもらいたいですね。私もその一人として、行動を起こしました。
市民主体という点では、沖縄の人たちは「助け合っていかないと互いに暮らしていけない」という意識が非常に強いです。武蔵境に限らず、本土の公民館は自治体が市民の税金で建てており、そのほとんどは行政が運営しているでしょう。しかし、沖縄は「自治公民館」なんです。自分たちで敷地を買って、自分たちで建物を建てて、自分たちで運営しているんですよ。
40年先を見据える危機感を。
――その意識の違いはどこにあるんでしょうか。
要は、危機感を持っていないのではないでしょうか。沖縄のような離島と違い、財政が豊かなため、インフラなどなんでも揃っている都会にいるという意識がありますから。ですから、つい行政に頼ってしまう。また、誰かがやってくれるだろうと他人任せになり、安心してしまうんです。しかし、実態は安心していいような状況ではありません。みんな、今は困っていないかもしれませんけど、将来、どうなるんだと。このままでは地域内での助け合いがなくなってしまうと思います。
本来は30年、40年先のことを考えていくことが大事なんですけどね。元気なうちは、みんな、先のことを心配しないようなんですよ。
――その意識を「ぷらっと」から変えていくわけですね。
僕の理想は「触れ合い」、「支え合い」、「守り合い」のまち。将来を安心して生きられて、安心して天寿をまっとうできる地域でいないとね。そして、そうするにはどうすればいいかをみんなで考えられるまちをつくると。「ぷらっと」はそのための場所になればいいというわけです。
利用者、それを支える一般市民、研究者、自治体、みんなで力を合わせて、まちをつくっていきたいです。ゆくゆくは、武蔵境から西東京などの周辺地域、東京、日本全体に広めていきたいですね。
