今回は中学1、2年で学ぶ「歴史」について。
古代文明の発祥から、ソ連解体・EUの発足までを学びます。主に日本の歴史を勉強しますが、大航海時代・産業革命期のヨーロッパ、20世紀以後は全世界について、ある程度触れることになります。
日本の歴史については少し詳しく勉強しますから、土地制度と税制の移り変わりも分かるようになっています。1300年前の律令体制発足で、税収確保のた
め、6歳以上の国民に口分田が与えられました。その後300年たつと、院・貴 族・寺社が持ち主である荘園が、日本の代表的な土地制度になります。
さらに600年たつと、太閤検地で荘園はなくなります。この太閤検地で、税収確保のため、農民の田畑に対する所有権が認められました。江戸時代を経て、太閤検地から300年後、明治政府により、税収確保のため、地租改正が行われました。
現在も、税収確保のため、人・法人に所得税を課し、生産された物・サービスを消費する者に消費税を課しています。
税収の確保は、この1300年間の変わらぬ課題です。
律令体制も、荘園制も、幕藩体制も、明治維新以降の体制も、「国民一人あたりの生産性を上げ、さらに人口を増やす」ことを求めましたが、現在は、「持続可能な社会を作る」ことが第一の課題になってきました。
日本のすべての中学1、2年生が、「歴史」を勉強することで「持続可能な社会であるためにどうす ればよいのか常に考える」ようになるなら、何にもましてすばらしいと思います。
(2012年2月15日)
今回は中学1、2年で学ぶ「地理」について。
10年前までは、日本の地理は、北は北海道から南は沖縄まで、地方別に47 都道府県の自然と産業について学んでいました。
現在は、長崎県、大阪府、神奈 川県についてのみ掘り下げて勉強し、そのほかの都道府県についてはあまり取り扱いません(西東京市採用の教科書の場合)。
また、世界の国々についても同様で、以前は、世界を6大州に分け、主な国々の自然と産業について学んだものです。
現在は、中国、イギリス、アメリカ合衆国についてのみ掘り下げ、ほかの国 についてはあまり取り扱いません。
この勉強の仕方のねらいは、現在の知識を与えるのではなく、いつでも最新の 知識を自分で手に入れられる方法を身につけさせることにあります。
インターネット、図書館の活用により、必要な地理の知識を随時手に入れられるようにしているのです。
いずれ古くなってしまう知識よりも、方法を身につけさせるという方針は正しいでしょう。しかし、東北の「やませ」、東京の玉川上水、燕の洋食器、鳥取のなし栽培など、また、イスラエルという国、ブラジルのコーヒーや工業などについての記述はまったくありません。
私は、知識から触発される学習意欲というものもあると思っています。もう少し網羅的な知識を大切にしてもいいのではないでしょうか。
いずれにせよ、地理の勉強は、日々の暮らしの中で正しい選択をするために必要です。
また、旅行する場合には、その場所についての知識を身につけておかなければなりませんが、その土台となる知識と方法を学んでいるわけです。
(2012年1月18日)
前回、中学校で学ぶ理科のうち、「生物」「化学」「物理」について述べました。今回は「地学」について。
1年生は、火山・地震の勉強をします。日本列島では火山活動は活発ですし、地震もよくあります。1991年に雲仙普賢岳が、2000年に三宅島が噴火しました。また、1995年に阪神・淡路大震災を起こした兵庫県南部地震が、2004年には新潟県中越地震が起きています。そして今年2011年3月11日には、東日本大震災がありました。
こうした火山活動や地震がどんなものかを知っておけば、どう対応するかを考えておくのに役立ちます。こうした災害にあったとき、自分が家族を守る立場にいるかもしれないし、もっと大勢の人を守る立場にいるかもしれない。あるいは、自分の身一つを守るためだとしても、よく考えておくべきでしょう。
2年生は気象を勉強します。湿度、寒冷前線、温暖前線などについて理解すれば、天気を予測しやすくなるし、洗濯物の干し方も上手になるでしょう。日本の春と秋の変わりやすい天気、梅雨、夏の天気、台風、冬の天気の特徴についても勉強すれば、暮らしに役立ちます。
3年生は天体を勉強します。地球の自転で起こる、昼と夜の一日。太陽はもちろん、そのほかの天体も皆東から出て西に沈むこと。地球の公転で起こる、春夏秋冬の一年。星座は一年で巡ること。ロンドンでは夏は夜9時過ぎまで明るいこと。小学4年生で勉強した、三日月が西の空に、半月が南の空に、満月が東の空に夕方現れることとともに、理解して知っておくと便利なことばかりですね。
(2011年12月14日)
今回は中学校で学ぶ理科について。中学校では、「生物」「化学」「物理」「地学」の基礎を学びます。
「生物」では、植物と動物の基本構造と種類、活動の仕方、さらに繁殖の方法について勉強します。私たちヒトは、動物の一種ですから、自分のことを勉強しているわけです。緑色植物の行う光合成が、太陽エネルギーを私たち生物が使える形にしていることも学びます。つまり、私たちヒトが、個人としても、種としても、生きていく上で何が必要かを学ぶわけです。しっかり学べば、人生の大局観を養うのに役立ちます。
「化学」では、さまざまな気体・液体・固体の性質について学びます。分解や化合、中和についても学びます。酸、アルカリなどの化学知識があると、料理・洗濯・掃除がやりやすくなります。逆に、基本知識を持たずに漂白剤を使って風呂場の掃除をしていて、命を失う例もあります。身のまわりのさまざまな物質についての勉強だから暮らしの役に立つことが多いのです。
「物理」では、力の働き、電気、運動とエネルギーについて学びます。力のつり合い・垂直抗力・作用反作用について知っていると、ボートをこぐにも凧をあげるにも助けになります。さまざまな電気製品を使っている人にとって、電気についての基礎知識は、必要不可欠です。また、物体の速さ・慣性の法則・いくつかのエネルギーについての知識も、多くの人にとってぜひ必要でしょう。車や自転車などの乗り物に乗るんでしたらね。
紙幅が尽きました。続きは次回に。
(2011年11月16日)
塾を始めて36年、この間生徒から「英語の勉強は、なんのためにするの?」と何度も尋ねられました。今回はこの質問に答えます。
第一は、英語でコミュニケーションを取るためです。例えば、仕事でベトナムに行ったとします。ベトナムで、日本語が通じる可能性は非常に小さいですね。でも、英語ならば通じる人がかなりいるでしょう。英語で用が足り、仕事が進むことでしょう。中国でも、インドでも英語が話せれば、仕事はできると思います。また、インターネットで欧米の商店などで買い物をして、何か問い合わせる必要があれば、電話やメールでやりとりするでしょうが、これも英語を使います。
第二に、英語で書かれた情報を新聞・雑誌・インターネットから取るためです。世界のニュースは英語で伝えられることが多い。だれかが日本語に直してくれるのを待っていたら後れをとります。何より、日本語にならない情報もあるのでこれは英語で読むしかありません。自分の得意分野の情報は、自分で見つけていち早く目を通したいものです。さらに、英語で書かれた文学作品は、英語で読まなければ味わい尽くすことはできません。
第三に、言葉をはっきり意識するのに役立ちます。日本語だけ使っていたのでは、「人は言葉を使って考える」ということに気づくことさえ難しい。また、発音も無意識のままだと、「ち」・「き」・「ひ」などの音が正確にできないこともあります。英語を勉強することで、「言葉を使って考えている」ことも自覚し、「意識して発音する」こともできるようになります。これは、論理的な思考をする助けになりますし、美しい日本語を話す助けにもなるのです。
(2011年10月19日)
「なんのために勉強するの?」と生徒から尋ねられることがあります。今日はこの質問に答えましょう。
小学校での勉強は、日常生活に密着しています。国語と算数は、暮らしていく上に必須不可欠な「読み書きそろばん」です。理科は、毎日見ている星や月、動物、植物、自分の体についての基本知識の学習。社会は、自分の住んでいる地域から始まって、自分の国=日本についての地理と歴史の勉強です。小学校の勉強は、誰にとっても必要な勉強であるといえます。むしろ、この時期にもう少し深く勉強したほうがいいくらいです。
中学校での勉強は、どうでしょう。まず、国語ですが、これは重要ですね。中学校で国語の勉強をしないと、新聞・雑誌の活字情報を活用できません。また、この時期に作文の練習をしていないと、ビジネスに必要なレポートも書けるようになりません。さらに、人と的確にコミュニケーションをとる力をつけるためにも中学国語の勉強は必要です。また、小説や短歌などを楽しむための基礎作りも含まれています。では、数学で勉強する比例・反比例、1次関数、2次関数などはどうですか。比例・反比例は、普段の生活で使いますが、1次関数、2次関数を日々の暮らしの中で使う人は多くはないでしょう。しかし、関数の勉強は、高校で微分積分として完成し、この微分積分を理解できたときの感動はとても大きい。この感動のためだけでも数学の勉強をする価値はあると思います。紙幅が尽きました。続きは次回に。
(2011年9月21日)
「にくらしいったらありゃあしない」くらいの日本語が当たります。直訳の「殺してやりたいくらいだった」という日本語は強すぎる。自分の幼い息子が、乗っている車の中で灰皿を引き抜いて車内に中身をまき散らした。これを思い出して、人に語っている母親の言葉です。
この文に接したとき、私は衝撃を受けました。母親が自分の子どもを「殺す」という言い方があり得ないと思ったからです。
英語ではcould haveが過去の事実に反したことを述べていることを示しているため、大丈夫なのでしょう。同様に、“You could have heard a pin drop.”は、「ピンが1本落ちたら、その音が聞こえただろうよ」というのが直訳で、つまり、「だれもしゃべらずシーンとしていた」という意味でよく使われています。これもcould haveが実際にピンが落ちたわけではないことを示しています。
また、辞書の用例などで見かける、“If I were to die tomorrow, what would my children do?”は、「私が明日死んだら、子どもたちはどうするだろう」という日本語が当たるでしょうが、日本人の感覚としては「どうしてわざわざそういうことを言うの?」と思います。が、これもwere toが「あり得ない」ことを示すため、語り手は聞き手に対して、「私は明日死ぬことは絶対にない」と述べていることになるわけです。
以上、本日は高校生のための英語教室でした。
(2011年8月24日)
菜の花や月は東に日は西に
与謝蕪村です。切れ字「や」の威力は大きく、感動の中心が、菜の花にあることははっきり分かります。一面の菜の花で、画面は黄色一色です。背景を作っているのは、月と太陽です。月は東にあって、今昇ろうとしている満月です。太陽は西にあって今沈もうとしています。夕方です。
また、この句は、柿本人麻呂の
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
明け方、東に太陽が昇り、西に満月が沈もうとしているという歌を意識していて、よく対比されます。
人麻呂の歌は、360度地平線の見えている雄大な風景です。
ここで鑑賞に必要な知識を整理しましょう。
「感動の中心を示す切れ字」「天体は東から出て西に沈む」「太陽と地球と月が一直線上に並ぶとき満月になる(厳密に一直線上になると月食が起きるから普段は微妙にずれている)」。
また、人麻呂の見ている土地の広さは、地表から2メートルの高さに目があるとして、半径5キロの円になります。
これを知るには、地球の半径が6400キロであることと、三平方の定理が必要です。
なお、人麻呂と蕪村の間には1000年の歳月があります。蕪村が生まれてから今日までまだ300年経っていません。
以上、本日は中学生の読者を想定しました。
(2011年7月20日)
人が自分の姿・形について考えるとき、平均値に近いほうが良いと考えることが多いようです。顔の造作なら、日本人の場合、日本人の平均値に近いときに、美男・美女というのですね。鼻は高からず低からず、目は左右対称の位置にあって大きすぎず小さすぎずといった調子です。ま、これは理解できますね。とても奇妙な形をした耳の持ち主を好ましいと思う人は少ないでしょう。
背の高さはどうでしょう。男性の背の高さの理想は、男性が考える場合も女性が考える場合も175〜180センチくらいでしょうか。これは現在の日本人の平均身長より高いですね。でも、東アジアの若い人たちの身長はここ30年で急速に伸びているように見えますし、もう少し伸びるかもしれません。その伸びを考慮していると考えると、ちょうど平均値かもしれません。あるいは、欧米人を含めた平均を取れば既に現在の平均値ということになるでしょう。なんにせよ、衣類・建物・家具などが平均値を考慮して作られますから、平均値は理想になりやすい。
人の持つさまざまな能力についてはどうでしょう。走る、泳ぐ、跳ぶという基本の身体能力なら、誰でも平均よりも優れているほうを良しとします。サッカー、バスケットボール、テニスなどのスポーツ競技だとどうでしょう。平均程度できればたくさんだという人が増えています。もちろん、能力を上げるためには、時間と努力というコストがかかりますから、それを考慮すれば、ごく当然の意見でしょう。
さて、問題解決能力についてはどうでしょう。満足できる人生を送るためには、自分の持っている能力に見合った問題解決能力を身につけなければなりません。この能力を上げるためには、必要なだけの時間と努力を惜しむべきではありません。問題解決能力については、自分の能力に見合ったうちの最大の力を獲得すべく努力しなければなりません。断じて、平均値であってはならないのです。
(2011年6月15日)
「悩ましい」という言葉はどういう意味でしょう。 私にとっては、「女性が、女性の魅力を発揮している」という意味です。「悩ましい」という言葉に生まれて初めて接したとき、「悩む」という言葉との関係が分からずに強い印象を受けました。そのせいで「悩ましい」という言葉を目にするたび、耳にするたび、確認していましたが、ある時期まではすべての用例が「女性が、女性の魅力を発揮している」という意味でした。
ところが、30年ほど前、テレビで将棋番組を見ていると、ある局面で解説の棋士が「ここは悩ましいところです」と言ったのです。私はびっくりして、その棋士の顔をよく見ました。軽く表情を抑えている感じで、これは冗談のつもりなのだなと思ったものです。
その後、将棋番組や囲碁番組で、年に数回ずつ、「悩ましいところ」という表現を聞きました。どうやらごく単純に「正しい手段を見つけるのが難しい局面」であるという意味のようでした。近頃では、新しい事業を始めようとして、その決断について「ここが悩ましいんだ」と語る人を見たりもしています。
どうやら「悩ましい」という言葉が「難しい、悩まなければならない」という意味で使われることが定着したのですね。
そういえば、私の覚えた「悩ましい」という言葉も「女性が、女性の魅力を発揮している」様子を見た男性が自分の取るべき行動について「難しい、悩んでしまうなぁ」と述べていると思えば、筋が通りますね。
(2011年5月18日)
受験勉強が選別のための必要悪のように言われることがあります。つまり、入試で合格するためにだけ役に立つが、その後の生活には社会でも、家庭でも、個人でも役に立たないというのです。この意見は説得力があるらしく、賛成する人がたくさんいます。
私の意見は違います。受験勉強をする中で身につけるもののうち、大切なのは、個々の国語・算数(数学)・理科・社会・英語の学力よりもむしろ、判断力です。もしあなたが、世界で活躍するスポーツ選手や楽器演奏者ならば、自分の行う練習と試合(コンクール)を通じて、この大切な力=判断力を若いうちに養っているはずです。どんな練習をすれば自分が伸びるのか、本番に自分の力がピークを迎えるように気持ちを作るにはどうしたらよいか、経験を振り返りながら判断し続けるから。そして自分の持っている力を大いに発揮する方法を身につけていることでしょう。ところが、たいていの人にとっては、中学受験、高校受験、大学受験のときの受験勉強こそがこの判断力を身につける機会となります。
進学先の学校を選択する前の情報収集から始まって、正しい選択を行い、目標を実現するための方法を見つけ実行する、という一連の手順を身につけ、人生に必要不可欠な判断力を獲得するのです。
個人にとって、どんな分野のどんな企業に就職するかあるいは起業するか、また、結婚するかしないか、するなら誰と、というのは大問題です。人生の成功と失敗を分ける可能性がありますからね。
ここで必要なのが判断力です。さらにまた、仕事――その仕事が銀行の振込事務であれ、原子力発電所の管理であれ、肝臓の機能障害を起こしている患者の薬剤処方であれ、自分の子どもを育てることであれ――を遂行する上で、ミスをしない、的確な判断をする力は、受験勉強をする中で養われます。
受験勉強は人生において大いに役に立つのです。
(2011年4月20日)
前回はノーミスでテストを受けるやり方についてお話ししました。当日のテストの受け方ですね。今回は、テストに対する的確な準備の仕方についてお話しします。
テストには、日々の勉強を促す小テスト、学力の定着を図る定期試験、総合的な力を試す入学試験などさまざまなタイプがあります。どのテストを受ける場合も、テスト本番で初めて自分の実力を測定するのではなく、本番前に自分でテストしてみる必要があります。 例えば、漢字の書き取りテストで100個の漢字がテスト範囲になっているなら、指定されている漢字を全部テストして書けない漢字を見つけ出し、それだけ練習して本番までに書けるようにしておけばよいわけです。
入学試験のような大きい試験でも、基本事項を自分のものにする作業は同じです。高校入試の社会なら、中学校の教科書3冊分の内容を覚えます。時間節約のためにも、覚え損ないをなくすためにも、教科書をただ読んで覚えるのが理想です。
しかし、ただ読んだのでは覚えられない場合もあります。その場合はマーカーを使って工夫します。これでも足りなければ、ノートを使って抜き書き帳を作ります。抜き書き帳を作るには、見出しの作り方を工夫すると広い範囲が一度に頭に入ります。また、覚えたかどうかを自分でテストしやすくなります。場合によっては、カードを使って覚えます。どの方法を使った場合も、繰り返して、確実な知識にします。
ここまでは、小テストの準備と変わりません。この後、もう一つ準備しなければならないことがあります。これが大きな差を作り出します。それは次回に。
(2011年3月16日)
都立高校の入学試験が迫っています。
いくら的確な準備をしても当日のテストでミスをすれば、万事休す。ミスをせずに、準備をしただけの成果を確実に手に入れる方法についてお話しします(昨年も同じことを言いました)。
芝居や、コンサートの出演者が本番を迎えた場合でも同じですが、適度な緊張が必要です。「これまで準備して今ここに自分がいる。いよいよだぞ」と戦闘態勢を取るわけです。普段着感覚では力は出しきれません。
次が重要です。たとえば、数学の試験問題を解いていて、計算をしているとしましょう。このとき、九九の計算をしている自分以外にその九九の計算が合っているかを見張っている自分が必要です。
この、計算をしている自分を見張っている自分がいなくなって、計算に没頭している自分だけになるとミスが出ます。要するに、問題を解いている自分とそれを見張っている自分を確保し続けられればOKです。
国語の読解問題で選択肢「ア」が間違っていると判断した場合、その判断の根拠をはっきりさせなければミスにつながります。このときも判断している自分を見張っている自分がいればOKだということです。
適度な緊張と問題を解いている自分とそれを見張っている自分の3つがそろえば、解ける問題はすべて解けます。ノーミスでテストを受けることができるわけです。
(2011年2月16日)
センター入試は、例年50万人以上が受験する一大イベントです。
去年は、英語を51万人が、国語を48万人が、数学を36万人が受験しています。理科、社会も延べ人数で、それぞれ50万人を超えます。
これだけ多くの人が受験するのですから、出題側と受験側の双方にかかっている総コストは莫大です。それだけの費用に見合う何か良いことがあるべきだと私は思います。
それはたとえば、入試問題が、受験生の実力を測定できるだけでなく、受験生が解いていて楽しく、そのうえ、解いているうちに知識や技術の向上するものであるということ(良質な入試問題はそういうものです)。
けれども、毎年行う入試では、問題作成上大きな制約があります。それは過去に出題した問題は、原則として使えないということです(センター入試ではそれでは作成不能ということで、出してよいことになっていますが、それでも直近10年分くらいは使いにくいでしょう)。
この制約のもとでどれくらいの問題が作られているかですが、英語、理科、社会については、ある程度、理想的な問題になっていると思います。
数学については、もう少し何とかならないものかと思っています。現在の問題ですと、過去に出題された問題の解き方に習熟していることと、計算能力の2点で得点が決まります。計算が速いこと、正確であることは、きわめて大切ですから、これを重視することに異論はないのです。
ただ、できるだけエレガントな解答を求める、あるいは、既存の知識を用いて新たな発見に誘導するという要素が欲しい。個々の大学の数学の一般入試では、ときおり実現していることなので、ぜひ、意欲を持ってほしいものです。
国語については、現代文に問題ありと思っています。この点は改めて論じます。この記事が載るころは、今年のセンター入試が終わり、各新聞に問題が載っています。高校生以上の皆さんはぜひ国語の現代文に挑戦してみてください。
(2011年1月19日)
前回、小学校時代は、良くできていたのに、中学校に入って勉強については鳴かず飛ばずになってしまう子どもの典型的な例を挙げました。
【4月生まれで、体格も良く、運動会では大活躍、また合唱コンクールでは指揮者となり、大いに目立つ。教室でははきはきしていて、彼(彼女)のいるところは一段と明るくなる。中学受験は考えていないので、塾には行かなかったが、学校の勉強で特に困ったこともなかった(それどころか、単元修了ごとのテストはいつも満点で、自信を持って勉強していた)。
多くの母親たちにうらやましがられていたこんな子どもが、中学に入学すると、学業の面ですっかりつまずいてしまうことがあります。入学してすぐの数学の授業で「3引く7はいくつか?」と問われ、「小さい数から大きい数が引けるわけない」と思って、涙ぐむ。
英語の授業で、アルファベットの小文字の読み書きができないのは自分を含む少数派と知る。こんなショックから立ち直れないうちに、授業は進む。いつの間にか、定期試験が始まり、努力をしたのに、各科目とも平均点を超えるのがやっと。「小学生の時は、教室で一番良くできるのは自分だったのに。どうして?」という思いに、持ち前の明るさを失ってしまう】
これは説明しやすい例です。この子どもは、小学校時代から学業のできる度合いは変わっていないのです。
小学校の単元修了ごとのテストでは、満点を取る子どもは多いので、いつも満点を取れていても特に学業に向いているというわけではありません。また、分かりやすくするために単純化している説明に納得するには、厳密にものを考えないほうがよいということもあります。つまり、もっと厳密にものを考えられる子どもよりも、この子どものほうが有利だったのです。ところが、日常生活を扱う小学校とは相性が良かったが、入門程度とはいえ学問の世界を扱う中学校とはうまくいかないというわけです。
さて、この子どもが順調にその力を伸ばしていくにはどうすればよいのでしょうか。
まず、国語の学習を進めましょう。語彙(ごい)を豊富にする、数多くの物語の世界を知っておく、今話題になっている論説に触れておく――必要があります。また、算数の学習も進めましょう。いずれ必要になる順列、組み合わせに至る数の考え方や、必須事項である割合・百分率をしっかり身につけるなど、小学4年から6年の間にやっておかなくてはならないことがあります。小学校の4年生くらいから、専門家の指導を受ける必要があるのです。
(2010年12月15日)
前回は「小学校を卒業し、中学生になって突然伸びる子ども」についてお話ししました。「こういう子どもは論理性を重視し、抽象能力の高いタイプなので、論理の重視されない小学校の勉強では、彼(彼女)の力は発揮されにくい。だから、小学校の4年生くらいから、論理をきちんと扱える先生について、適切な指導を受けてほしい」というものです。
さて、今回は逆のケースについて考えます。小学校時代はよくできていたのに、中学校に入ったら、勉強が苦手になってしまう子どもです。やはり、現実にはいろいろなケースがありますが、典型的な例を挙げてみましょう。
4月生まれで、体格も良く、運動会では大活躍、また合唱コンクールでは指揮者となり大いに目立つ。教室でははきはきしていて、彼(彼女)のいるところは一段と明るくなる。中学受験は考えていないので、塾には行かなかったが、学校の勉強で特に困ったこともなかった。(それどころか、単元終了ごとのテストはいつも満点で、自信を持って勉強していた)
多くの母親たちにうらやましがられていたこんな子どもが、中学に入学すると、学業の面ですっかりつまずいてしまうことがあります。入学してすぐの授業で、「3ひく7はいくつか?」と問われ、「小さい数から大きい数が引けるわけがない」と思って、涙ぐむ。英語の授業で、アルファベットの小文字の読み書きができないのは自分を含む少数派と知る。こんなショックから立ち直れないうちに授業は進む。いつの間にか、定期試験が始まり、できるだけの努力はしたのに、各科目とも平均点を超えるのがやっと。「小学生の時は、教室で一番良くできるのは自分だったのに。どうして?」という思いに、持ち前の明るさを失ってしまう。
いったいどうしたのでしょう。
(次回に続く)
(2010年11月17日)
小学校を卒業し、中学生になって、突然伸びる子どもがいます。現実にはいろいろなケースがありますが、典型的な例を挙げてみましょう。
早生まれで、体も小さめ、運動会ではあまり活躍できなかった。ピアノもバイオリンも先生についたが、興味を持てず3カ月でやめた。英会話もやったが、1年でやめた。スイミング教室だけは、6年間通って、泳ぎ方は一通り習得、フォームもきれいだ。中学受験は考えていないので、塾には行かなかったが、学校の勉強で特に困ったこともなかった。(でも、特に目立つことは全くなかった)
誰にも注目されていなかったこんな子どもが、中学に入学すると、学業の面で相当目立つ成果を上げることがあります。論理性を重視し、抽象能力の高いタイプなのです。論理の重視されない小学校の勉強では、彼(彼女)の力は発揮しにくかったのです。抽象能力も高く、平均、統計、確率の初歩事項については、一人で発見していたりします。
世のお母さんたちに対して、「あなたの子供は、ピアノの天才かもしれないし、バイオリンの天才かもしれない。その天才を押しつぶしたら、犯罪というものよ」という脅し文句で、天才ピアニストとバイオリニストの発掘がつとに行われています。ここで探されているのは100万人に一人かそれ以上の人たちです。そんな天才はさまざまな方法でその天分を示します。心配はいらないのです。むしろ、20人に一人くらいの、いわば、凡才のほうを心配してください。こちらは埋もれてしまうのです。
小学校の4年生くらいから、きちんとした先生について、適切な指導を受ければ、伸びていく子どもたちは確かにいるのです。最初に述べたような、中学校に入って突然伸びたように見える子どもは、その前から適切な指導が必要だったのです。どうか彼らに必要な機会を与えてください。
(2010年10月27日)
卒業生の一人が10年ぶりに教室に寄ってくれました。看護師から助産師になり、先日1000人目の子を取りあげたとのこと。「もともと、青年海外協力隊員になるつもりだった。いよいよ実行するのだ」と言っていました。
この生徒は、中学3年生の時の進路相談で「将来、青年海外協力隊員になりたいけれど、そのためには何か技術を持っていなければならない。私は看護師になるつもりだ」と言っていたのです。自分の将来にはっきりした目標を持っている子として、印象に残っていました。そして、10年前とちょうど同じようにはつらつとしていたせいでしょう、「お久しぶりです」と言って入ってきた女性が誰であるか、迷うことはありませんでした。
35年間子どもたちと付き合ってきて、強く印象に残ることは「小学生も中学生も高校生も、とにかく女の子は元気がいい。少なくとも夢を語る子、夢を実現する子がある程度いる。それに対して、男の子は元気のない子が多い」ということです。これは、現在、進路が広がり、これからも広がっていく者たちと、その分だけ進路が狭まり、これからも狭まっていく者たちとの差であると思えば、あまりにも当たり前なのかもしれません。
しかし、日本の男の子たちよ、すべてこれからという意味では同じ立場なのだし、女の子に負わされていたハンディキャップが外されるだけなのだぜ。対等な者同士のレースにまじめに取り組んで、自分の進路を確保しなくては。
(2010年9月15日)