2017.08.22 コラム

 

 

 ある朝、庭に

文 ・ 志賀 泉

 

 

 想像してください。

 あなたは庭付きの一軒家に住んでいます。ある朝、雨戸を開けてみたら、ブルーシートに覆われた物体が庭の一角にどっかりと居座っています。軽トラックの荷台にぴったり収まるくらいの大きさ。何だこれはと目を疑い、すぐにあなたは、昨日庭の除染をしたのだったと思い出します。作業員がやってきて庭の表土を削り取り、黒い袋に詰めて積み上げ、ブルーシートを被せたのです。つまりブルーシートの内側は放射能の汚染土。仮置き場が整備されるまでこのままです。いつになるかわかりません。別のお宅では庭に埋めたそうです。

 


 どうですか? あなたが反原発派だろうと推進派だろうと、気分のいいものではありませんよね。これは架空のお話ではありません。人口約三十万人の、福島市の現実です。

 

 汚染土といっても放射線量は低いのかもしれません。しかし福島市の空間放射線量は現在も、南相馬市小高区(福島第一原発から二十キロ圏内)より高いのです。あなたの子供さんが汚染土の山の周りで遊んでいると想像してみてください。数値が低いからと安心して見ていられますか?

 

 七月末、福島市を訪れた際に、地元の高校の先生から次のような話を聞きました。

 

 「浜通りでも放射性廃棄物の置き場が問題になりますが、あれは人のいない土地のことです。ところが福島市では人の生活と隣り合わせなんです。多くの市民が放射性廃棄物との共存を強いられているんです。こちらの方がよほどシュールではありませんか」

 

 そこで、事実を確かめるべく福島市郊外の住宅地を歩き回り、右のような風景を見てきたわけです。

 

 「市民は慣れっこになってしまった」と先生は話します。確かに、怯えていてはまともな生活は送れません。しかし異常は異常です。本当に怖ろしいのは、異常を異常と感じられなくなった日常ではないでしょうか。

 

 

庭に積まれた汚染土=福島市で(撮影、志賀泉)

 

 (小説家。福島県南相馬市出身。近著に『無情の神が舞い降りる』〈筑摩書房〉、代表作に『指の音楽』〈同、太宰治文学賞受賞作〉、『TSUNAMI―つなみ―』〈同社〉)