2017.10.10 コラム

 

 

 

 

 

チェルノブイリ旅行記

文 ・ 志賀 泉

 

 

時間は流れる。

チェルノブイリ原発事故のためゴーストタウンと化した原発労働者の街、プリピャチは森に呑み込まれつつあった。かつての中央通り(レーニン通り)も左右から樹木が押し寄せバス一台がやっと通れるくらいの細い道になっていた。

 

やがてバスは広場に抜け出る。正面に、鉄骨の赤錆びた観覧車が見えてくる。チェルノブイリの象徴とでも言うべき建造物だが、今は半ば観光名所になっているらしく、現地の若者は観覧車の前でおどけたポーズを決め、記念写真を撮っていた。考えてみれば、彼らにとって原発事故は出生以前の「歴史」なのだ。

 

時間は流れる。しかし流れない時間もある。

 

広場を歩きながら、線量計の数値が突然跳ね上がるポイントがある。現地ガイドが「事故当時ここがヘリコプターの発着所になっていた」と説明する。また別のポイントは、「事故処理に投入された兵士がトラックの乗り降りをした場所」だという。見た目には何の痕跡もない。しかし僕はそこにチェルノブイリの亡霊を見てしまう。犠牲者の影が目に浮かんでくる。彼らの大半は死んでいるはずなのだ。

 

セシウムの半減期、三十年が過ぎた現在、ウクライナで新たに甲状腺ガンを発症する人が増えているという。なぜか。ウクライナの医学博士が説明してくれた。

 

ロシアとの関係が悪化し、ロシアからの天然ガスの供給が途絶えたため、政府はペチカで薪を燃やすことを各家庭に奨励した。しかし汚染された森林が伐採されて薪になり燃やされたことで、セシウムが空中に飛散する結果になったのだという。この事態を政府は予測できなかった。

 

社会情勢の変動によってもチェルノブイリの悲劇は甦る。三十年を過ぎてもこうなのだ。まして、事故後たった五、六年で放射性物質をコントロールできるはずがない。

 

(小説家。福島県南相馬市出身。近著に『無情の神が舞い降りる』〈筑摩書房〉、代表作に『指の音楽』〈同、太宰治文学賞受賞作〉、『TSUNAMI―つなみ―』〈同社〉)