2018.04.05 コラム

デンチュウに学べ!①「彫刻家・平櫛田中の珠玉の言葉〜六十七十ははなたれこぞう 男ざかりは百から百から」

<【コラム】デンチュウに学べ!①「彫刻家・平櫛田中の珠玉の言葉〜六十七十ははなたれこぞう 男ざかりは百から百から」>

国立劇場のロビーを飾る彫刻「鏡獅子(かがみじし)」の作者として知られる彫刻家・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)。100歳を過ぎても衰えることのなかった創作への意欲は、「六十七十ははなたれこぞう 男ざかりは百から百から」という名言に表れています。本コラムでは、小平市平櫛田中彫刻美術館の学芸員を務める藤井明氏が、平櫛田中の遺した言葉の数々を紹介。107年の充実した人生を全うしたデンチュウの言葉から、人生を豊かにするヒントをひもときます。

 

図1

 

国立劇場(東京都千代田区)のロビーを飾る《鏡獅子》の作者として有名な彫刻家の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう 1872~1979)。107歳という長命だったばかりでなく、100歳を過ぎてからも制作への意欲は衰えることはなかったという。

 

人は誰でも彼のように充実した人生を全うしたいと願うもの。私たちは彼がのこした言葉を深く味わうことで、これからの人生を豊かにするためのヒントを得ることができるのではないか。この連載は本誌記者I氏の、そんな考えから企画されたものである。

 

ただ、彼にあやかりたいと本気で願うなら、仰ぎ見てばかりいてはダメだ。圧倒されて、気持ちも萎えてしまうだろう。そこでこの連載では、あえて彼を「デンチュウ」と呼び、読者には身近に感じてもらいながら様々な言葉を紹介していきたいと思う。

 

図2

 

さて、冒頭の一句(図1)。これを書いたのは数えで100歳のときである。そして言葉のとおり、翌年20~30年後の彫刻制作のためにクスノキを九州から取り寄せている(図2)。普通なら「自分はこんな年齢だから、そろそろ…」と考えるところであろう。でも彼の頭の中にそんな考えは微塵もないようだ。いや、あえて、このような行動をとることで頭の中から弱気な考えを追い出してしまったのかもしれないが、自分で限界を作っていないところがすごいと思う。

 

そんなデンチュウにもお手本にした人がいた。最後の広島藩主をつとめた浅野長勲(あさの・ながこと 1842~1937)である。

 

図3

 

二人の出会いは、デンチュウが浅野の肖像を制作したときのことで(図3)、浅野はその当時93歳と高齢だったが、心身共にすこぶる丈夫で、お殿様だっただけに風格もあった。その姿を見た人は皆深い感銘を受けたが、ある人が浅野に「殿様はお丈夫ですから百までも大丈夫です」と言ったのがいけなかった。浅野はキッとなって、次のように戒めたのである。「お前さん、人の命、百までと限る人がありますか」。この出来事はその場に居合わせたデンチュウの心に深く刻み込まれ、いつまでも忘れることができなかったそうだ。

 

生きることへの二人の姿勢は、いつも自ら限界を作り出してしまいがちな私たちに反省をうながす。もちろん根拠のない自信家は困り者だ。けれど時にはデンチュウたちのように突き抜けた考えを持ってみたらどうだろうか。いつか自分が想像もしなかったような地点に運んでくれるかもしれない。もちろん、そのための努力や心がけが必要なことは言うまでもないけど。

 

なお、この言葉には「六十七十ははなたれむすめ 女ざかりは…」というバージョンもある。デンチュウはご婦人方への配慮も怠っていない。

 

<作家プロフィール>

藤井 明(ふじい・あきら)

小平市平櫛田中彫刻美術館/学芸員

1968年石川県生まれ。青山学院大学大学院文学研究科史学専攻修了。1993年から現職。武蔵野美術大学非常勤講師(2014~)、放送大学非常勤講師(2016~)。著書に『近代日本彫刻集成(全三巻)』(共著、国書刊行会、2010~2013年)、『橋本堅太郎作品集』(共著、講談社、2011年)、『日本藝術の創跡22』(共著、クオリアート、2017年)等がある。

 

<リンク>

小平市立平櫛田中彫刻美術館

denchu-museum.jp

 

<目次>

第0回

平櫛田中彫刻美術館学芸員・藤井さんインタビュー

第1回

「六十七十ははなたれこぞう 男ざかりは百から百から」

第2回

「けふもおしごとおまんまうまいよ びんぼ(う)ごくらくながいきするよ」

第3回

「このつちはたからうちだすつちならで のらくらもののあたまうつつち」

第4回

「売れないものを作りなさい」