2018.04.11 地域情報

公民館記念歌を作曲した、有名曲のプロデューサーとは!?

<地域ネタ掘り出し隊!>

自身の著書を手に微笑む野口さん

 

2017年に発表された、西東京市柳沢公民館の開館30周年記念歌「ふれあいの歌」。実はこの楽曲、あみんの「待つわ」などの名曲をプロデュースしてきた、作曲家・作詞家として活動する西東京市在住の野口義修さん(=写真)の補作詞と作曲によるものなんです。今回は、「ふれあいの歌」の誕生秘話を野口さんにインタビュー! 『別冊タウン通信 VOL.3』に掲載した内容の完全版です。ぜひご覧ください!

 

※同曲の歌詞はこちらから

 

 

石川:冒頭の文を読んだ読者がまず気になることだと思うのですが、野口さんが西東京市柳沢公民館の記念歌をつくることになったきっかけは、何だったのでしょうか……?

 

野口さん:柳沢公民館と図書館には、30年ほど前から通っているんですよ。足繁く行く時期もあれば、1年間行かない時期もありました。私のお気に入りは、柳沢公民館の喫茶コーナー「ふれあい」。というのも、なんだか居心地がよいのです。コーヒーを飲みながら作詞をしたり、本の執筆作業をしたり、本を借りるついでに立ち寄ったりと、お世話になりました。ちなみに「ふれあい」では、障がいを持った方と健常者の方がともに働いていらっしゃるんですよ。

 

昨年、梅雨の頃、少し久しぶりに「ふれあい」に行きました。変わらないおいしいコーヒーと、心地のいい接客。「ああ、落ち着くな」と思っていると、接客してくれた女性スタッフさんが、「私が初めて喫茶コーナーに訪れた頃にもいらっしゃった方だ!」と気が付いたんです。

 

 

石川:それは運命めいたものを感じますね。

 

 

野口さん:そうなんです。そこで私も感動して、「ふれあい」のテーマソングをつくってプレゼントしたいと思い立ったのです。その場で、喫茶コーナーの取りまとめをしている方に「自分はこれこれこういう者で、こういうことで、テーマソングを……」と申し出たところ、「今月、30周年記念の委員会の会議があるので、提案してみます」と言って頂きました。まさか、昨年(2017年)が30周年だったとは偶然で、本当に驚きました。

 

石川:タイミングもバッチリだったわけですね。「ふれあいの歌」は、歌詞を公民館の利用者や運営者から公募したとのことですが、それはどうしてですか?

 

野口さん:定期的に公民館を利用してきたといっても、記念歌が僕のつくる歌になってはいけないと思ったんです。あくまで、30年という月日を支えてきた市民の目線であるべきだ、と。日々を柳沢公民館で過ごしてきた人だけにしか書けない思いが、たくさんあるはずなんですね。脚本家がでっち上げたものとは異なるリアリティがありますから。

 

歌詞の前提でフレーズを残してくださる人もいれば、公民館での思い出を書いてくださる人もいました。本当にたくさんの言葉や思いが集まりました。

 

石川:それだけ公民館が愛されているという証拠ですね。作詞のまとめと作曲をするにあたっては、どのようなことを大切にしましたか?

 

野口さん:音楽って、聴いた時に直感的にいいと思うものと、何度も繰り返して聴く中で良さを味わって行くものの2種類あるんです。今回の曲は、市民の思いである言葉がたくさん詰まっているので、何度も聴いたり、歌っていただく中で味わい深いものになればと思っています。

 

石川:いわゆる“スルメ(のように味わい深い)曲”ですね! 集まった思い出やフレーズの数々を見た上で、公民館が市民にとってどのような存在になっている、と感じましたか?

 

野口さん:カルチャーですよね。公民館を利用しない人にとっては、「何をするところなんだろう?」という場所なんでしょうけど、習い事だったり、趣味であったり、日本のさまざまな文化を支えている地域の場ですよね。

 

僕がまだアマチュアの頃、音楽の合宿で講師の方が「合宿中は、非日常を体験してください」と言いました。文化・芸術に触れる瞬間というのは、日常のあれこれを忘れられる非日常の時間なんですよね。そして、公民館こそが、身近に気軽に、非日常の自分を楽しめる場所なのではないかと思います。

 

 

石川:野口さんが音楽の道に進んだきっかけは、ビートルズということですが、いつ頃からお好きなのですか?

 

野口さん:もうね、彼らのデビュー直後です。当時小学5年生でした。それから、もう、ずっと好きですね。高校時代にはギターを買ってビートルズをカバーしたり、フォークソングを歌ったり。大学時代には趣味で作曲を始めました。

 

僕がプロになったきっかけはね、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(※通称「ポプコン」)なんですよ。中島みゆきさんやチャゲ&飛鳥さん、長渕剛さんらを輩出したヤマハ主催のコンテストです。そこに20歳の時に応募して、それが認められてヤマハ音楽振興会所属のプロデューサーになったのです。若い頃から文章を書くことも好きだったので、作詞や、音楽雑誌での連載などもしてね。作曲や作詞に関する書籍は何冊も出しています。

 

石川:あみんの「待つわ」をプロデュースしたのは、野口さんが何歳の時だったのでしょうか。

 

野口さん:2829歳くらいですね。その頃だと、ほかにも雅夢の「愛はかげろう」やアラジンの「完全無欠のロックンローラー」などを手掛けました。東京に来たのが30代前半の頃ですね。上京して3年目から、このエリアに住み始めました。

 

石川:すごい、1984年生まれの私も知っている曲ばかりです! 長いキャリアを築けるだけの才能を持ち、また努力もしてこられたのでしょうね。

 

野口さん:「作詞」や「作曲」と聞くと、難しそうに感じたり、特別な才能を持った人がやるものだと感じるでしょう? でも、私はそうは思わないんですね。若い頃から、「誰でもできる」とさえ言ってきました。僕がその生き証人のようなものですよ()

 

自分がこの仕事を長く続けてこられた理由は、楽曲をつくったり、本を書くことで、人に伝わっていく喜びを感じられるからです。それだけなんです。例えば、私が作曲した「そーっと・そっと」という『おかあさんといっしょ』の曲は、オンエアされて30年経った今でも流れている定番の歌なのです。あ、公民館と同じ年だ()! インターネットなどで検索すると、「そーっと・そっとが好きです」という書き込みなんかを見つけることがあるんです。そんな時、「自分のつくったものが、人の心に触れて、その人たちや子どもさんの心の中に生き続けていく!」なんて感じるのです。曲そのものは自分が生み出したんだけれど、今は、みんなのものになっているんですね。

 

そこに、自分が生きているという実感を得られるのです。自分は、そのために生きてきたのだとさえ思えるのです。だから、これからも 歌づくりや本作りは、一生続けていきたいと思っています。

 

 

<編集者の一言>

 

タウン通信編集部の石川です。いやー、野口さんが正にいい例ですが、「この町にそんな人が住んでいるの!?」「あの人がこのエリアの出身だったの!?」ということって、意外とあるんですよね。タウン通信本紙では「この町この人」というコーナーで定期的に紹介していますが、ウェブ版でもいろいろな方に取材していけたらいいなあ……と企んでいる石川です。

 

余談ですが、石川はあみんの岡村孝子さんに『NO RAIN, NO RAINBOW』(2013年)というアルバムのリリース時に取材をしたことがあります。野口さんの取材時に話そうとしていたのですが、すっかり忘れていました。

 

この記事で紹介した柳沢公民館の30周年記念歌「ふれあいの歌」のCDは、同公民館で配布中です。在庫があるか、事前に問い合わせていただくのがいいと思います。

 

さて、野口さんから「大丈夫なら入れてくださいね」と、チャーミングにお願いされていた宣伝でございます!(唐突)

 

「作詞や作曲はだれにでもできます! ぜひ、この記事をご覧になった方には、チャレンジしてほしいと思います。昨年も作詞作曲の本を出しましたし、今年も、数冊予定しています。ご覧いただけるとうれしいです(*)」

 

冒頭の写真には、自著を手にしている野口さんの写真を選んだのですが、音楽の楽しさをいろいろな人に体感してほしいのだということが、記事を読むと伝わってくるかと思います。ビートルズの話になると、声が1トーン上がっていました。音楽が大好きなんでしょうね。

 

野口さんにとっての音楽のように、私が生涯ずっと好きで入られそうなものってなんだろうなあと考えたのですが、やっぱり、編集とか、執筆とか、現在の仕事に関するものなのかなと思いました。学生時代から楽しんでやってきたことなので、生業である前に、趣味でもあるんですよね。一生楽しめたらいいな、好きで入られたらいいな、と思います。

 

*)ナツメ社 CD付き 楽しく体験レッスン作詞・作曲入門 

 

(文・石川裕二)