2018.05.23

【編集長インタビュー】東村山出土の縄文土器に“漆塗り”の謎

 

東村山ふるさと歴史館 学芸員 千葉敏朗さん

 

東村山ふるさと歴史館が、現在、企画展「下宅部(しもやけべ)遺跡展 縄文の漆Ⅱ」を開いている。縄文時代後期に漆の管理や高度な利用がなされていたことを証明する同遺跡。その存在は縄文期のイメージを覆すほどのインパクトを持っている。『タウン通信』編集長の谷隆一が、同館の学芸員・千葉敏朗さんに詳しく聞いた。

 

◆縄文人が漆を利用するために植物を管理していた
――まず、下宅部遺跡の概要を教えてください。
 

「東村山市多摩湖町4丁目に約3000平方メートルの規模で広がる縄文時代後期の遺跡です。縄文時代以降でも、古墳時代、奈良・平安時代の遺構・遺跡が見つかっており、これまでに、刀や斧などの鉄製品、文字や記号の書かれた墨書土器などさまざまな貴重な遺物が出ています。その数は総数で30万点以上になります」

 

 

――中でも、漆製品が注目されると聞きました。
 

「現在、企画展でも展示しているものですが、下宅部遺跡からは、縄文時代後期から晩期にかけての約1000年の間に製造された漆塗り土器や漆塗り木製品が発掘されています。また、樹液採取の跡が残る漆の木が44本見つかっていて、学術的には、この発見が非常に価値が高いです。今の考古学では『縄文時代の植物利用』が最前線のテーマなのですが、ここでの漆の発見は、縄文期に植物が管理されていたことを証明するものでした」

 

――なぜ管理されていたと分かるのですか。
 

「樹液を採られている44本のうち、8割が直径6センチ以下の細い木なのです。これを検証していくと、成長を促すために、直径6センチを目安に間伐されていたことが分かりました。現代と同じ管理が、縄文期に行われていたということです」

 

――西東京市の国史跡・下野谷遺跡も植栽の可能性を指摘しています。縄文人には原始的なイメージを持っていましたが……。
 

「下宅部遺跡からは漆塗りの土器や木製品が出ていますから、縄文人が漆を活用していたのは間違いありません。漆は計画的に時間をかけないと利用できませんし、そもそも、それがないと生きていけないというものではありません。従来の縄文人のイメージは、獣を追いかけ、食べるのに苦労して……というものでしょうが、実際には、漆を丁寧に扱うほどの余裕があった、といえます」

 

◆「土器への漆に実用性はない」

――漆ですが、何のために塗っていたのでしょう。


 「一番の効果は赤い色を定着させられる、ということです。実用性はほとんどありません」

 

――実用性がない?


 「厳密に言うと、弓などでは、樹皮やひもを強く張るために接着剤として利用しています。また、撥水効果もあったでしょう。しかし、土器の場合は、いくら塗っても強度は上がりません。内側まで漆を塗っている土器も見つかっていますが、それも見える部分だけなんですね。深いところや見えない部分は塗っていないんです。そこから推測しても、装飾のために漆を使ったとみて間違いないでしょう」

 

――では、その装飾の狙いは?
 

「漆で着色できるのは赤と黒なのですが、特に赤は、炎や太陽、血など、生命力というイメージに直結します。そういう力を求めた面があるかと想像されます。

 

——赤の着色はどのように?

「着色料としてはベンガラや水銀朱などがあるのですが、水銀朱はこの辺では取れないんですね。実はこの遺跡からは福島地方の土器が複数見つかっています。そうした事実から辿ると、恐らくは北海道の水銀朱を東北経由で入手したとみられます」

 

——壮大すぎて、なんと言っていいか…。


「日本海側の翡翠が全国で発見されている事実もあり、縄文人がかなり広域に交易していたのは確かですね。話は変わりますが、土器の製造にしても、野焼きで700度くらいまでの高温にします。縄文時代に文明があったと考えるべきでしょう」

 

――それにしても、なぜこのような貴重な遺跡がこの場所で発見されたのでしょうか。


「発見のきっかけは都営住宅の建て替えです。周辺に遺跡が複数あることから一応調べてみようということになったのです。結局7年間調査することになったのですが、民間の事業だったなら、そうはいかなかったと思います。そもそも、調査の義務もない場所でしたから。

 

幸運にもそういう事情で貴重な遺跡が発見されたのですが、もう一つ幸運だったのは、遺跡自体が数度の洪水で埋もれてしまっていたことでした。上から土は被っていたのですが、地下では水脈が生きていたので、木材が腐らずに良い状態で残ったのです。漆がこれだけきれいな状態で見つかるというのは、よほど好条件が重ならないと期待できません。全国でも数カ所から漆塗り土器などが出ていますが、どこも低湿地遺跡ですね」

 

――こういう遺跡があることに、市民はどう向き合うべきでしょうか。
 

「まず純粋に、それだけの文化がこの地のルーツにあるということを知ってほしいです。そして、これらの貴重な遺物が国の重要文化財に指定されるように機運が高まっていけばうれしいです。東村山市には国宝の正福寺地蔵堂と、国の重要文化財の『元弘の碑』(徳蔵寺)があり、下宅部遺跡を含めた3つが近くにあるので、いろいろな活用ができると思っています」
 

<展示情報>
企画展「下宅部遺跡展 縄文の漆Ⅱ」は7月1日(日)まで東村山ふるさと歴史間で開催。無料。月・火休館。6月10日(日)午後2時から講演会「下宅部遺跡からみた縄文時代の漆工技術」もある。詳細は同館(042・396・3800)へ。

 

<リンク>

東村山ふるさと歴史館