2018.06.12 コラム

 

 

 

 

 

巣立ちの準備

                                 文 ・ 志賀  泉

 

 もう二十年以上も前になる。小平市に住んでいた頃の話だ。鷹の台の駅前商店街を歩いていたら、目の前を掠めるようにしてツバメが飛んでいった。懸命に翼をばたつかせ、危うく地面に落ちそうになりながら、やっとこさという感じの飛び方だった。「おやっ」と足を止めたら、また一羽、やはり不器用な飛び方で目の前を飛んでいき、その先の低い電線につかまった。子ツバメが巣立ちの練習をしているらしい。電線には、先に飛び終えた兄弟たちが三、四羽、親鳥と一緒にピィピィ鳴きしきっていた。

 

振り返ると、郵便局かその近くだったと思うが、軒先にツバメの巣があり、一羽だけ残った子ツバメが飛ぼうとして飛べず、親兄弟に向かって叫ぶように鳴いていた。その姿が、バンジージャンプに挑もうとして二の足を踏んでいる人間を思わせた。

 

飛び終えた兄弟たちの鳴き方が、「がんばれ」「勇気出せよ」と励ましているように聞こえた。それに対し飛べずにいる一羽は「ぼくだめだ」「やっぱ怖いよ」と助けを求めているかのようだ。動物を擬人化して語る趣味はないのだが、そう聞こえてしまうのだから仕方がない。ツバメにも兄弟愛というか、仲間意識はあるのだろうかと考えた。

 

生まれた時から兄弟同士、生存競争でしのぎを削り、親が運んでくる餌を取り合っていけば、強い子と弱い子の差は必然的に開いていくのだから、どこの巣にも必ず発育の遅い子はいるはずだ。飛べない子ツバメは、生存競争に遅れをとった子なのかもしれない。

 

二十数年前の僕は、飛べないツバメに自分を重ね合わせて見ていた。浮かばれない人生をいつまで送るのだろうと不安だった。自分が超遅咲きの人間であることをその頃は知らなかった。発育が遅くても、競争に負けていても、思い切って踏み出せば、そして励ましの声があれば、案外飛べるものだと、今の自分は知っている。

 

(小説家。福島県南相馬市出身。近著に『無情の神が舞い降りる』〈筑摩書房〉、代表作に『指の音楽』〈同、太宰治文学賞受賞作〉)