2018.10.15 話題

◆ 超駆け足で振り返る 「タウン通信」の10年 ◆

 

西東京市・東久留米市・小平市東部をメインエリアに週刊発行している本紙「タウン通信」が、2018年10月15日に創刊からちょうど丸10年を迎えました。

 

 

紙媒体の休・廃刊が続くなか、なんとか続けられているのは、ひとえに読者の皆様のおかげです。以下、ものすごく駆け足ですが、本紙のこの10年を振り返ってみました。(以下、本紙発行人・谷が記載)

 

 

 

   ◇  ◇  ◇

 

 

 

■縁起をかついだ創刊号

 

創刊は2008年10月15日。直前には「リーマンショック」があり、逆風の中での船出でした。

 

 

創刊の経緯は、上記エリアで50年発行されていた地域メディア(「週刊東興通信」)の休刊です。休刊を惜しむ読者・スポンサーの声を受け、当時、その編集部に属していた私(本紙発行人・谷隆一)が「タウン通信」として発行を始めました。

 

 

ちなみに、下の写真が、創刊号の1面。

 

 

 

写真は、小川駅前にある「昇り亀」。木のコブが亀のような形で、ユニークです。面白いし、縁起も良いということで、思い切って1面に配置しました。

 

 

当時は知りませんでしたが、小平市の産業振興課にいらしたKさんが「昇り亀」を盛り立てていらしたそうです。Kさんには今も大変お世話になっていますが、市職員の郷土愛を感じます。

 

 

ちなみに、同号の中面には、東久留米市のパラアスリート・小山恭輔さんにもご登場いただいています。

小山さんは、北京パラリンピックで「銀」、ロンドンパラリンピックで「銅」をお取りになった競泳選手(バタフライ)。写真をご提供くださったカメラマン・越智貴雄さんは、すっかりパラスポーツのカメラマンとして有名になられました。

 

 

――というわけで、創刊号はいろいろと縁起の良い号になりました。

 

 

 

■やみくもに走った半年

 

創刊から半年間は、ただやみくもに走りました。

広告営業、取材、記事制作、請求書発行、本紙発送、集金……。当初は隔週刊でしたが、すべて一人でこなしていたので時間が足らず、請求書発行などは初めてのことで、ミスを指摘されることもしばしばありました。

 

 

そんな冬の深夜、自宅で作業しながらついうたた寝。ストーブの前で、資料にしていた地域紙が焼けこげていたこともありました(危なかった!)。

 

 

 

 

状況が少し落ち着いたのは、2009年5月。「何とか続けられそう」と見通しがつき、記者を採用できたからです。

 

 

もっとも、最初に採用した30代男性は、出勤最初の予定日に待てど暮らせど来ず。しばらくして電話があり、「実はうつ病を発症して……」と、出勤することなく、そのままお別れすることとなりました。

 

 

同じ募集時にもう1人候補がいたので、その方を雇って急場をしのげました。

 

 

 

■腹をくくって週刊化

 

2009年7月、それまでの隔週刊から週刊に踏み切ります。すでにウェブ業界が躍動していたのでさんざん迷いましたが、「読者と接する機会をなるべく増やしたい」という思いが勝りました。(下写真は、そのときのコラム)

 

 

 

 

この年の11月、今も本紙で記事を書いている石川裕二さんが社員として入社。当時25歳の若者でしたが、すでに結婚していて、落ち着いた雰囲気がありました。

 

 

学生時代から編プロで経験を積んできたという石川さんは、すぐに実力を発揮。自分一人で芸能プロダクションと交渉して有名人の記事を書くなど、企画力も優れていました。(下記は、石川さんが企画・制作した記事2本。東久留米市出身のパパイヤ鈴木さんのコメントなど集めています)

 

 

 

 

 

ついでながら、石川さんは2010年5月5日号で、バイオリニスト・前田みねりさんを取材しています。

 

 

そして、8年後の2018年10月3日号(つい先日ですね)では、カエルを撮り続けた自然写真家・前田憲男さんを取材。

 

 

 

もうお気づきと思いますが、このお二人は親子。こんな取材ができるのも、地域紙ならではかもしれませんね。

 

 

 

■所沢でチャレンジ、すぐに3.11

 

週刊化がなんとか軌道にのったところで、2011年1月には所沢市での本紙発行に着手しました。西東京・東久留米・小平の「北多摩版」は新聞折込ですが、所沢ではポスティングでチャレンジしました。

 

 

 

 

所沢版は良い紙面を作れていたと思うのですが(実際、読者からご評価の声は幾つもいただきました)、結果的には、スポンサーを掴みきれず1年半で撤退。創刊間もなく東日本大震災が起こり、営業活動が厳しかったのを思い出します。と同時に、新規事業に乗り込むほどの体力がなかったことも事実でした。

 

 

ともあれ、この頃の最大のトピックスはやはり東日本大震災です。

このときまで知りませんでしたが、本紙で創刊号から毎月エッセイを連載してくださっている太宰治文学賞作家・志賀泉さんは、福島第一原子力発電所そばの福島県南相馬市のご出身。震災直後の発行号(2011年3月23日号)を皮切りに、以降、震災や原発への言及が増えていきました。この間に連載で積み重ねた志賀さんのエッセイは、今後、記録として大きな価値を持つはずと信じています。

 

 

 

 

この3月23日号の翌号・4月6日号では、どの媒体にも先駆けて、地域の放射線量を独自に測定して報道しました。

 

 

 

このときの反響は、すさまじいものがありました。朝から電話が鳴り続け、称賛と批判がまっ二つ。称賛は「これぞ地域紙の仕事」というもので、批判は「風評被害を拡大するだけだ」というものでした。地域紙への親しみの感情なのか、「ガイガーカウンターを貸してくれ」という依頼もけっこうありました。「イヌの散歩が心配だから……」と何件かありましたが、それらは丁重に断らせていただきました。

 

 

 

■法人化し、安定した発行

 

2011年5月2日には、法人化をしました。ゴールデンウィークの合間の中途半端な日ですが、この日を選んだのは日取りが良かったから。言わずもがなですが、本紙でずっと「星のオキテ」をご連載いただいている九星気学鑑定家・野村徳子さんに選んでいただいた日取りです。

 

 

この法人化と前後して、記者の石川さんが独立。まあ、えてして能力あるライターは独立するものです。

入れ替わりで記者が入りましたが、5年ほどして退社。面白いもので、そこでまた入れ替わるように、フリーライターとなった石川さんが本紙で書いてくれるようになっています。

 

 

その後は特に波風もなく、安定して本紙を発行。本紙とは別にカタログやホームページ制作などの仕事も行うようになり、谷個人としても、2015年3月には出版社「ころから」から書籍『議会は踊る、されど進む〜民主主義の崩壊と再生』を出版。予算の専決処分などが行われた2010年から2014年までの東久留米市政の混乱をまとめたもので、東京新聞ほか幾つかの媒体で取り上げていただきました。

 

 

 

さらに、同年12月には、『市役所で働く』(ぺりかん社)を出版。これは、中高生向けに市役所の仕事を紹介する本で、小平市、東村山市の職員に取材をさせていただきました。

 

 

 

 

ついでに、2017年5月には『中高生からの選挙入門』(ぺりかん社)も出版しています。この本では、小平市在住の大学生を中心にした若者のサークル「知りたい!」のメンバーや、東久留米市にある自由学園の生徒さんにご協力いただき、若者たちの座談会を収録したりもしました。

 

 

 

 

 

■2016年8月に新事務所へ

 

話は前後しますが、この間の本紙のトピックスとしては、事務所の移転もあります。2016年8月、同じ、西東京市田無町の中でしたが、マンションの1室からテナントへと移りました。

 

 

 

 

また、2018年春からは、自分史作成セミナーを始めるなど、新しい試みもスタートしています。

すでに、数人の方が、本紙で自分史をお作りになられました。

 

 

   ◇  ◇  ◇

 

 

――と、そんなこんなで、あっという間の10年。

 

 

これからも、皆さまの役に立てる情報を発信してまいります。

また、今後はよりウェブでの情報発信に力を入れていく所存です。

 

今後とも、変わらぬご愛顧をよろしくお願いします!