2018.10.23 イベント

探検家・関野吉晴さんロングインタビュー 「世界を旅して、足もとの大切さに気づいた」

 

11月10日(日)までの予定で、武蔵野美術大学(小平市)キャンパス内にある「武蔵野大学美術館」で、企画展「関野吉晴ワンダースペース」が開かれている。


関野吉晴さんは、人類拡散の旅路「グレートジャーニー」を逆ルートでたどった探検で著名な探検家で医師。同大学で文化人類学を教える教授でもある。


この企画展は、探検家・関野さんの約50年の行動を5つのテーマに分けて紹介するというもの。企画展に合わせ、展示の狙いや、進行中の活動などについて、関野さんに話を聞いた。

 

 

 

武蔵野大学美術館で開催中の企画展「関野吉晴ワンダースペース」

 

  ◇  ◇  ◇

 

 

※編集部注
企画展では、美術館で写真展示などを行うほか、キャンパス内の地下通路に約330点もの写真を展示。ほかに、普段は植村直己冒険館で 保管されている、手作りの船「縄文号」が特別展示されている。縄文号は、丸太をくりぬき、すべて自然物で手作りした船。木を切るための斧や刃物さえも、砂鉄を集め、たたら製鉄して手作りしている。関野さんは、この船でインドネシアから石垣島まで約4700キロを航海している。

 

 

 

 

■定年を前に、記念として大学美術館で企画展

 

――今回の企画展は、大学の美術館で開催しています。決してアクセスの良い会場とはいえませんが、なぜここで開催を?


「ぼくは来年の1月で70歳になり、定年を迎えます。武蔵野美術大学では2002年から教授になっているので、17年在籍したことになります。今回は辞める前の記念ということです。 
集客力がない会場とは分かっていますが、私としては学生に見てほしいという気持ちが強いです。



ただ、実は今回は、ここに留まりません。たまたま話が広がり、鷹の台駅前商店街の突き当たりにある創価学園グラウンド跡地の壁を利用させてもらえることになりました。そこで、400メートルぐらいの壁を使って、大きく引き伸ばした写真を展示する予定です。



美術館では人の写真が中心なので、この壁面では、自然の風景——地球の表情を飾ろうと思っています。
こちらの企画は、私が代表を務める「地球永住計画」が主催します。
壁面利用の関係で、ちょっと企画展とは開始時期がずれるのですが、その分、年末まで展示を続ける予定です。
地域の人たちが見て、興味を持ってもらえればうれしいです」

 

 

探検家・医師で、武蔵野美術大学教授でもある関野吉晴さん

 

 

――企画展では、テーマを5つに分けています。「長い目でみる」「いちからつくる」「食べて出す」「みえないものに向き合う」「交わり拡がる」の5つです。その意図を教えてください。

 

「『いちからつくる』などは説明不要と思いますが、『見えないものに向き合う』というのは、信仰のことですね。



信仰というのは、火があって、病気があり、いろんな不安があって生まれています。都市社会ではあまり気にならないかもしれませんが、いろんなところを回ってくると、それが大事なことが分かります。



今の文明社会の負の側面がなんで起こっているかというと『もっともっと』という肥大した欲望のせいなのですね。それも、コマーシャルであおり立てられたものです。


前に、イスラムのところを旅していて、何気なく『家畜がもっと増えるといいですね』と言ったことがあります。そのとき返ってきた答えは『これは神から預かったものだからこれで十分』というものでした。


ミャンマー人などでは、違う宗教——小乗仏教ですが、彼らはものすごく優しいのですね。親切です。なぜか? 彼らは来生を信じていて、功徳を積みたいと思っているからなんです。親切にするのは、自分のためなんですね。


私たちの『もっともっと』という欲望の文明を転換するには、宗教がかぎを握っていると思っています」

 

 

 

――今の日本で、宗教が復権するでしょうか?


「私たちの中には、依然として『見えないものに向き合う』精神が残っていると思います。


たとえば、『縁起が悪い』と言いますよね。スポーツなどでも、『ラッキーセブン』とか、『このバットなら打てる』とげんを担いだりします。我々は、そういうものを無視しているわけではないんです」

 

 

 

■「長い目でみる」に込めた思い

 

――もう一つのテーマ、「長い目でみる」についても、ぜひ解説してください。

 

「これがいちばん難しい。何を言っているか分からないかもしれませんね。

 

 

ぼくは南米を歩いてきた時間が長いので、今回は南米の展示が多いのですが、彼ら伝統社会の人たちと我々を比べると、『時間』がぜんぜん違うのですね。彼らは、時間を区切って何かをするということをあまりしません。

 


一方で私たちは、特に都市社会は、社会人も学生も、『業績』『課題』とすぐに結果を求めています。

 


ぼくの話でいえば、映像を撮る仕事を昔からやってきているのですが、以前は、プロデューサーなどから『頼りなさそうだけど、なんかやりそうだな』と見てもらえると、『1年かかってもいいからやってこいよ』と言ってもらえました。要するに、10年先、20年先を見ていたんですね。

 


しかし今は、3カ月です。せいぜい半年。その期間が短いんです。

 


そうなると何が起こるかというと、短期間で成功させるために、そつなくやろうとするようになります。

 


そつなくやっていると、どんどん社会が沈滞していきます。いま、そうなっていますよね。すぐに結果を求められるので、仕方がないのでしょう。うまくいくかわからないけど冒険的なチャレンジをしてみる、ということができないのです。

 


だからこそ、『長い目でみる』ことが大切、という点が一つあるわけです。

 


でも、このテーマには、もう一つの思いがあります。

 


先の話は私たちの社会のことですが、一方のアマゾンの人たちの『時間』についてです。

 


実は彼らには、過去や未来というものがほとんどありません。ピラハンという民族に至っては、先祖崇拝もないし、お墓もない。見ているものしか信じません。

 


サルやゴリラもそうなんですね。たとえば転んで足を折ってしまう。私たちなら『転ばなければ……』と後悔するところですが、彼らは絶対後悔などしません。なってしまったそのままを受け入れて生きていきます。

 


アマゾンの伝統社会の人たちは、未来といっても、せいぜい、1週間とかそのぐらいの先しか考えません。燻製にウジが湧いて食べられなくなってしまう……と、そのぐらいの未来です。

 


そういう生き方になると何が起こるかというと……、不安が生じないんですね。後悔も不安もないんです。

 


彼ら狩猟民は、その場で結果の出る一発勝負なんです。だから狩猟が楽しくて仕方がない。とにかく、今がすべてなんですね。

 


それに対してぼくたちは違います。目標を持って生きている。文明社会というのは、基盤が農耕ですよね。農業というのは、半年後とか1年後のために頑張らなければなりません。草取りは、その場で結果の出る狩猟とは違います。収穫の喜びは先にあるんです。

 


だからこそ、ぼくたちは『長い目でみる』必要があるのです。



このように、『長い目でみる』というテーマは、一言では言いきれないところがあります」

 

 

 

■「移動する旅」と「寄り道」。一本の布を織るようにして旅してきた


――なるほど、分かりました。
ところで、その5つのテーマとは別に、企画展では「WANDERING ON THE EARTH 地球を這う」の副題がついています。解説文の中では「虫瞰」という視点にも言及していますが、その意図を教えてください。

「2つの意味があって、一つは地を這っていくということ。ぼくの関心は人間にあったから、上からでも下からでもなく、同じ視線で、人間を見ていくということです。

 

 

それともう一つは、複眼ということ。一方向からではなく、いろいろな見方をすることが大切です。

 


たとえば、こういう指摘があります。
もし宇宙人が我々を観察していたら、家畜やペットたちが主人で、人間のほうを奴隷と思うだろう、と。

 


見方によって、見えるものが変わってくるのです。

 


ぼくは旅をしているときは常に、移動する旅は縦糸、寄り道は緯糸(よこいと)と思ってきました。それで、一本の布を織るようにして旅をしていく。

 

 

その布とは何かというと、ぼくが残してきた本や写真集などではなく――もちろん、それらも布の一部ではあるのですが――、大事なのは、『ものの見方』や『考え方』『気づき』なのです。

 

 

いちばんの『気づき』というのは、『目から鱗が落ちた』という発見です。日常ではそう滅多にないことですが、旅していたら出会うことも多い。

 

 

だから、ぼくは気づくことを目的にしているので、失敗をまったく恐れません。その辺は、成功ありきで行動する探検隊や登山隊とは違うと思います。緯糸である寄り道も大切にしているので、何日までにどこそこに行かなければならない、という踏破目的の旅はしないのです」

 

 

砂鉄を集め、たたら製鉄して作った刃物。太古の人々に思いをはせ、製鉄から手作りにこだわり、丸太をくりぬいて「縄文号」を作った

 

 

 

――そうは言いますが、「グレートジャーニー」では、南米南端からアフリカまでの約5万キロを自力で踏破するという、前人未到の旅を成し遂げています。

 

「『関野さんは失敗したことがない』なんて言われることもあるのですが、とんでもありません。

 

 

グレートジャーニーにしても、あの道のりは、40を超えるミニ・エクスペディション(小さな探検)のつながりなんですね。
その一つ一つの中では、幾つもの失敗をしています。たとえば、最難関のベーリング海峡を渡るときは、最初は歩いて渡ろうとしたけれども、海峡が凍らなくて失敗。次にエスキモーのスキンボート(皮舟)である帆船のウミアックで渡ろうとしたけれども、風が悪くて失敗。最後にシーカヤックを用意して天候が落ち着いたときを狙って漕ぎ出し、夜中も漕ぎ続けて24時間後に渡り切ることができました。

 


すべてのミニ・エクスペディションを成功できたから、グレートジャーニーは完遂できたわけですが、このように、その中では100以上の失敗があります。

 

 

でも、失敗したときほど、賢くなるんですよ。成功したら、そのまますーっといってしまう。

 

 

人との付き合いもそうです。みんなイヤな人と付き合わないようにしますが、本当は、悪い人、イヤな人が自分を鍛えてくれるのです」

 

 

 

■美大で教鞭を執ったワケ

 

――そういう行動や気づきがたくさん詰まった企画展になっているわけですが、一つ素朴な疑問があります。今回、定年退職を前にした記念展とのことですが、そもそもなぜ、美大で教鞭を執ったのでしょうか。関野さんに憧れる若者たちの中には、『関野さんに習いたいけど美大には入れない』という人も多そうな気がします。


「ぼくに習いたいということで入ってくる学生はたまにいますね。武蔵野美術大学(以下、ムサビ)に探検部はないんですが、早稲田大学の探検部の合宿に参加しているのが、何人かいます。

 

 

ぼく自身のことでいえば、ムサビだから引き受けたんです。

 


ぼくは若いころ、民俗学者の宮本常一さんが所長を務めていた日本観光文化研究所に出入りしていたので、その門下生という縁で、ムサビにもよく呼んでもらっていました。宮本さんが、ムサビで教鞭を執っていらしたからです。

 


ぼくが課外講座で講師を務めると、客入りも結構良かったみたいで、それで『ウチに来ない?』と誘っていただきました。まだ、シベリアあたりを旅していたときのことで、結局、2、3年待ってもらいました。

 

 

ムサビだから引き受けた、というのは、文化人類学者を育てるわけではないというのがあります。『ぼくが実際に歩いて、見て、聞いたものを、自分の言葉で語ればいい』という条件でしたので、それなら面白いな、と」

 

 

 

――関野さんの授業を受けていたという卒業生に話を聞きましたが、さまざまな文化や人の営みを知ることができて、非常に美術に役立ったと言っていました。美術はそうしたものと結びついているから、と。

 

「ぼく自身にはそこまでの意識はないのですが、ただ、いろんなことに好奇心を持って、汗をかき、筋肉を使って引き出しを増やしていくと、絵や作品にも幅が出てくるのではないの? という問いかけは、学生たちにもよくしています」

 

 

 

 

■探検よりも冒険がいいな、と思うようになった

 

――アート、芸術という観点でいうと、関野さんの生き方や行動自体がアートという見方もできます。そういう意識はおありですか?

 

「『縄文号』をつくるまでは、そんなふうに思ったことはなかったです。ただ、学生や教員からは、そう言われることは確かにあります。

 

 

昔、植村直己さんも、詩人の草野心平さんから『あなたの行動が詩です』と評されたことがあったと聞いています。でも、それを意識するのはちょっと恥ずかしいな(笑)」

 

 

 

――アートには、視点を変えたり、新しい価値観を提示するという力もあります。まさに、関野さんのなさっていることでは?

 

「意識はしていないです。
というよりも、ぼくは、世の中の役に立つということも意識してこなかったんですね。少なくとも、探検は直接社会には役には立たないです。

 

 

話は飛躍するけど……、ぼくは、『探検』と『冒険』という言い方にはこだわってきたんですね。探検というのはAという地点で何をするかが重要です。対して、冒険は、Aという地点にどう行くかが問題。厳しいルートや、厳しい季節などバリエーションをつけていくわけです。

 

 

その点でぼくは、探検にこだわってきていて、人類にとって何か新しいものを見つけられたらという思いもあったのだけど、最近は冒険のほうがいいな、と思うようになってきています」

 

 

「日本人はどこから来たのか」を探り、インドネシアから石垣島まで約4700キロを手作りの舟で航海した。写真は、企画展で特別展示された「縄文号」

 

 

――ここにきての転換ですか。なぜですか。

 

「最近の学生を見ていると、馬鹿なこと、どうでもいいこと、役に立たないことに夢中にならないんですよね。計算づくでしか動かないんです。

 


いちばん良いのは役に立つことに夢中になることなのですが、役に立たなくたって、自分が面白いと思ったらそれに夢中になれるのが若者の特権じゃないですか。ところが今は、多くの学生たちが単位とか就職とかばかり意識している。冒険をしないんです。いやな世の中だな、と思います」

 

 

 

■アマゾンの集落のコミュニティ

 

――社会の問題なのでしょうか……。
まさに社会ということについて、地域紙として興味があることを一つ質問させてください。
地域で取材をしていると、居場所、ひきこもり、生きづらさ、いじめ、非行、孤独死といったワードに出会います。そうしたことは、アマゾンの伝統社会のムラにもあるのでしょうか。


「少なくともいじめはあります。
ただ、日本社会のような粘着質ないじめではなくて、たとえば知恵遅れの子を邪見にするとか、そういう感じです。

 

 

その代わり、何かあったときにはみんなでかばいます。お年寄りにも同じで、何かあったときはみんなでフォローしていく」

 

 

――居場所がないような子はいないわけですね。

 

「いや、もちろん、悪いことをしたら居場所はないです。人妻をさらっていっちゃうとかしたら、もう」

 

 

――その場面に出くわしたことがあると本で読みました。


「何回もあります。
面白いのは……、みんな共通しているんですが、ある一定期間離れていて、何年かしたらしらっと帰ってくるんですね。すると、みんな許すんですよ。酔っぱらったときだけは、ぶり返すこともあるんですが」

 

 

 

■「人とのつながりが安全保障」という社会

 

――関野さんの過去の対談を読むと、アマゾンのムラは平等社会だと紹介されています。所有の概念も希薄で、たとえばナイフを3本持っている人がいて、1本も持っていない人がいると、何のためらいもなく、また見返りも求めず1本を分け与えるのだと。


「ぼくたちは町にいて、ぜんぶお金でサービスを済ましますよね。将来に備えてお金を貯め込みもする。それが安全保障なわけです。

 


それに対して彼らはどうかというと、最初からお金がないから、貯め込むということができません。でも将来への安全保障は必要です。では、どうするかというと、人とのつながりをいろんな関係で密にしていくんです。一緒にイニシエーションを受けたり、家族は大きな構成で住む。意識的に、『お前と俺は何かのときには助け合おうぜ』という関係を何人かと作ったりもします。つまり、人とのつながりが将来の安全保障なんです。

 


そこからすると、ぼくたちは、実はお金を持てば持つほど、人とのつながりが薄くなっているのだと思います」

 

 


――しかし関野さんは、人類拡散のグレートジャーニーに対して、弱者が押し出されたために起こったと考察されています。何らかの形で弱者が生まれるというのは避けられないということでしょうか。


「アマゾンのような豊かな場所だと、豊かなだけに人口が増えてしまうのです。すると、分裂が生じてしまう。一定のバランスが必要なんです。

 


例えば狩猟採集民のヤノマミは、150人で集落をつくります。200人だと分裂します。
その話を霊長類学者の山極寿一さんにしたところ、アフリカでもやっぱり150人だと教えてくれました。
そこで意気投合したのですが、150という数は、人間――特に狩猟採集民にとってのゴールデンナンバーなのかもしれません。

 


山極さんは『おれたちもそうじゃないか』とおっしゃいます。言われてみれば、年賀状を、仕事以外で、性格まで知る友達に送るのは、150人ぐらいのものです」

 

 

 

――現代の私たちにも、ヒントになりそうな話ですね。


「そう思います。ぼくは農耕民の場合は600人とも思っているのですが、いずれにせよ、最近は『グローカル』などといって、地球のことを考えながら地域やっていこうという動きがあります。ローカルでやればまとまりがありますから。みんなの目が行き届くし、効果的だと思います」

 

 

 

■世界を旅して「足もとを知らない」ことに気がついた

 

――その話でいうと、関野さんは2015年に「地球永住計画」というプロジェクトを立ち上げています。ユニークなのは、壮大なネーミングの一方で、地域にこだわって活動していることです。少し解説をお願いします。

 

「ネーミングについては、最初は、美術・地域・知識の頭を取って『美と地と知』というのを考えていたのですが、建築科で、火星に移住したらどんな建築物を作るかを考える『火星移住計画』という課題を出しているのを知り、それに張り合って、やっぱり地球だろう、この奇跡的な星を大切にしよう、ということで付けました。

 

 

なぜ地域にこだわるの? ということでは、ぼく自身がグレートジャーニーでアフリカに着いたときのことにさかのぼります。それまで30年くらい世界中を旅してきて、アフリカはそのときの大きなゴールだったのですが、そこで思ったのは、『足もとを知らない』ということだったんです。

 


それで、自分が生まれた近く(東京都墨田区)にあったブタの皮なめし工場で働いたり、自分の遺伝子からルーツが北方系縄文人にあると分かったので、アイヌとかマタギ、鷹匠などに興味を持って会いに行ったりしました。
結局ぼくがやっていることは、自分の足で歩いて、見て、聞いて、自分の頭で考えるということに変わりはないんです。

 


そういう活動の中で、大学のそばに玉川上水があり、そこに豊かな生態系があると分かったので、そこでのフィールドワークで生物を眺めたり、流域の古老の話を聞き書きするといったことを始めました。

 


と同時に、宇宙や太陽、DNAといった大きなテーマは、自分で歩くわけにはいかないので、専門家に講義をしてもらっています。この講義は、多いときは毎週のように開催し、精力的に行っています。講義内容は、いま、ナショナルジオグラフィック日本版で連載もされています」

 

   【リンク】ナショナルグラフィック日本版・地球永住計画

 


――それらのフィールドワークや講座を、市民を交えて行っています。狙いは何でしょうか。

 

「契機です。考える契機。ヒントをここで得てもらえればと思っています。市民の方は一生懸命ですね」

 

 

 

■いま、市民にできることとは

 

――その市民についてお聞きします。
地球永住計画もそうですが、関野さんは『人類滅亡を避ける道』といった対論集まで出されています。それらを通して、大量生産、大量消費の文明社会に警笛を鳴らしているわけですが、一方で先ほどは、グローカルというお話もありました。いま、市民にできること、あるいはすべきこととは何なのでしょうか。


「悲惨な歴史を持つアメリカ・インディアンに『何か手伝えることがありますか?』と聞くと、『いや、別にわざわざ来てやることはない。あなたたちの大地をいつくしんで、正しく生きてください。それが私たちを救うことです』と言うんですね。

 


それは、ダライ・ラマ14世もそう言うんですよ。

 


ぼくは、人にとって何が大切かというと、『当たり前のこと』だと思います。
それは、家族と一緒に住める、好きなところに住める、好きなことが仕事にできる、好きなことが言える、といったことだと思います。

 


病気になって初めて健康の大切さに気づくように、私たちは、その当たり前のことを大切だと気づいていません。
しかし、そういうものをむしばんでくる人がいます。経済の力で。経済のために仕方がないじゃないか、と。

 


それを守るのは自分たちしかいない、ということを知ることが大事です。
いま、ちょっとまずい状況だと思います。3.11のときに変わるかと思いましたが、すぐに、経済、経済となってしまいました。

 


それは自分のことなんだよ、自分で守るしかないんだよ、ということは強調しておきたいです」

 

 


――最後に、いま考えていることを教えていただけますか?


「ぼくは書店などで『何か一言書いてくれ』と言われたら、『ほどほどに』と書くようにしています。
これまでの文明を築いてきたのは、『もっともっと』という欲望です。それに対して、これからの社会を守っていくのは『ほどほど』の精神だと思うのです。

 


実は『ほどほどに』というのは、自分への戒めでもあるんですけどね。すぐ、いろいろやりたくなってしまいまう性格なので(笑)」

 

 

著作『グレートジャーニー探検記』に書いてくださった「ほどほどに」

 

 

【リンク】関野吉晴さん公式ホームページ

 

【リンク】武蔵野美術大学美術館

 

【リンク】地球永住計画

 


 

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