2018.11.22 コラム

骨折り損でも

         文 ・ 志賀  泉

タウン通信が十周年を迎えた。僕とタウン通信は創刊号からの付き合いなので、この「猫耳南風」も連載十周年だ。タウン通信と「猫耳」に拍手。そして感謝。

 

この十年間は、僕が二〇〇七年に『TSUNAMI』を出版してから二〇一七年に『無情の神が舞い降りる』を出版するまでの十年間にほぼ重なる。何を言いたいかというと、つまり、書き上げた小説がことごとくボツになった僕の不遇時代を下支えしていたのが、タウン通信であり「猫耳」だったということだ。

 

『TSUNAMI』を書き上げてから、僕には書くべきテーマがなくなっていた。モチベーションがないのに無理やりテーマを捻り出したって、そんな小説は駄作に決まっている。必然的にボツ原稿が積み上がっていく。大方の新人はここで消えていく。ただし僕の場合、「猫耳」の作者プロフィールに「小説家」とある以上、「小説家」の自覚を捨てるわけにはいかなかったのだ。そこで始めたのが、国語辞典からテーマを拾い集める『新明解国語辞典小説』という他力本願的実験だった。

 

その間に「震災」「原発事故」というテーマが僕の中に生まれた。いや、外から襲いかかってきた。現実的、かつ巨大すぎるテーマだ。『新明解~』で培ってきた経験がここで活かされることになった。

 

小林秀雄がこう書いている。「骨折り損のくたぶれ儲けという言葉がある。これは骨折りさえすれば、悪くしたってくたぶれ位の儲けはあるという意味である」(『批評について』)

 

僕はこの言葉が好きで、たとえ一年かけて書き上げた小説がボツになっても腐らずにいられた。骨折り損でも何かしらの儲けはあるのだ。その儲けを喜べなくては書き続けることはできなかった。

 

前掲の小林秀雄の言葉はこう続く。「現実的な骨折りをすれば、くたぶれたって現実的な内容を持っている。その内容はいつも教訓に溢れている」

 

 


志賀泉さんプロフィール

小説家。福島県南相馬市出身。近著に『無情の神が舞い降りる』〈筑摩書房〉、代表作に『指の音楽』〈同、太宰治文学賞受賞作〉)