2017.06.15 コラム

 

 

 

 

 反対はしないけど 志賀泉

 

相馬市小高区と浪江町をまたぐ沿岸部にかつて東北電力の原発予定地があった。土地の買収は九割九分終わっていたが、福島第一原発の事故により計画は白紙撤回された。

 

僕は以前書いた短編小説(未発表)の中で「原発事故は起きなかったが原発のある故郷と、原発事故で汚染されたが原発のない故郷」と、どちらを愛せるかという問いを立ててみた。その答えは出ていない。無理に二者択一にすべきではないのだろう。放射能に汚染されても今の故郷が好きなのだから。

 

ところで、その旧原発予定地に今度は水素製造工場を建てる計画が持ち上がった。水素を生産して東京に輸送し、オリンピック・パラリンピックのエネルギーとして利用しようというのだ。

 

細かい説明はおくとして、水素は究極のエコ・エネルギーだというし、オリ・パラを機に普及すれば地球温暖化対策の切り札にも成り得る。大規模工場が出来ればもちろん雇用も増えるし自治体の税収も増える。だから反対はしない。反対はしないけれど、「むむむ」と唸ってしまう。

 

つまり、福島県沿岸部は東京のエネルギー基地という位置づけは原発事故以前と変わらないのだ。新技術の実験場という点も同じではないか。結局のところ、中央頼みの地方という構図は変わらない。原発が水素工場に替わっただけの話だ。しかも、目下の目標は東京オリ・パラ。東京オリ・パラ工事で被災地の復旧復興が遅れるのではと懸念する人も多いのに。

 

設問を変えてみよう。僕は、静かに衰微しながらも穏やかな風土を残す故郷と、先端技術を導入した大工場を誘致し活力を取り戻そうとする故郷の、どちらを選ぶだろう。

 

地元の方は後者を選ぶかもしれない。どう考えても、それが現実的な選択だ。僕はもちろん、反論はしない。しかし、なんだか、釈然としないのだ。

 

(小説家。福島県南相馬市出身。近著に『無情の神が舞い降りる』〈筑摩書房〉、代表作に『指の音楽』〈同、太宰治文学賞受賞作〉)