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外国人への日本語指導で20年。
さらなる充実を求め、新サークルを立ち上げ

地域日本語教室「とびら」代表 飯塚睦さん

2010年4月取材

プロフィール

飯塚睦(いいづか・むつみ)さん
1944年生まれ、西東京市在住。日本語ボランティアサークル「日本語教室とびら」代表。田無国際交流サークル設立。中学校国語教師、日本語教師を経て、現在は、ボランティアで、地域の外国人に日本語を教えている。
日本語教室「とびら」HP

日本語ボランティアサークル「日本語教室とびら」は、2007年に発足。地元で暮らす外国人を対象に初級レベルの教室を、田無福祉総合センターで週3回(火、木、金)開いている。同会発起人の飯塚睦さんは、先月(2010年5月)で20年目を迎えた田無国際交流サークルの発起人でもあり、現在2つの教室に携わっている。「隣人として、厳しいことも言います。それは、抱きしめるほどかばってあげたい、守ってあげたいからです」と活動に対する思いを話す。

外国人のふとした一言がきっかけ。
昼は先生、夜はボランティア。日本語漬けの日々でした

 ――20年前に「田無国際交流サークル」を立ち上げました。仕事として日本語教師をしていたのに。何か理由があったのですか。

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 もともとは、中学校の国語教師だったんです。結婚後は夫が、転勤がちだったので、仕事はしていなかったのですが、興味のあった英語を外国人に教わっていました。そこで、その教師に逆に質問されたんです。買い物先で、「子どもあるの?」と聞かれたのだけど、私は、子どもはいます、野菜はあります、と習った。おかしいというのです。私は何と答えていいか困りました。「確かに妻子ある身で」とか言いますよね。その時、「ある」「いる」の違いをうまく説明できなかったのが、日本語教師のスタートなんです。そして、日本語教師になり技術を身につけていくにつれ、自分の持っているノウハウを地域に住んでいる、隣に住んでいる外国人のために、生かせたらいいなと思い始めたんです。
 そんなころ、旧田無市主催の国際交流の講座に出会い、参加して、田無国際交流サークルを立ち上げました。その当時は、昼はお金をもらって日本語教師を、夜はボランティアで日本語を教えていましたね。

 ――昼は仕事で、夜はボランティア。主婦としての役割もあったはず。生活を犠牲にされたわけですよね。そうまでしたのはなぜですか。

 日本語教師は、主婦のパートから始めたんです。夫の扶養の範囲で。でも、同僚の中には、生活をかけて教師をやっている人がいるわけです。やっぱり自分とは違うんですよ。意気込みとか。それに、日本語学校で教える内容には、制限があるってことにも反発を感じていました。ここまでは教えていいよ。でも、次のステップに行くには、新たなお金が発生するよ、ってことです。ビジネスだからしょうがないのですが、日本で暮らす外国人は、今、教えてあげられる範囲以上の事を生活の中で耳にして悩んでいるんです。br /> 例えばこんなことがありました。知り合いの家に遊びに行き、別れ際に「今度、休み遊びに来てね」と言われたので、次の日曜日にその家に電話をかけたら、びっくりされたというのです。これは社交辞令なんだということを教えました。彼らは、きちっと助詞を入れて勉強していますから、「今度の休み」だと思ったんです。
 あと、日本人と結婚した女性の場合など、子どもができると、家族の中で自分だけが外国人になるわけですよね。子どもに、「お母さんは日本語が下手だから学校に来なくていい」と言われたりするんですね。彼女たちはたいてい日本人以上に純朴で子育てに熱心なので、とても傷つくんです。
 他にもたくさんありますけど、そんなことから、お金をもらわなくてもいいから、遠くに住む外国人より、近所に住む外国人を助けたいと思うようになりました。特にグローバルな考えがあるわけではないんですけど。まあ、甘いって言われればそうなんですけどね。

もっと要求に応えたい。
そう思って、活動を広げたんです

 ――2007年には「日本語教室とびら」を設立しています。2つの教室を開いたのには理由があったのですか。

 短期間で日本語を取得したい、もっと積み重ねたいと、要望する生徒が多かったのです。田無国際交流サークルを含め、市内には他に7つの任意団体ボランティア教室があるのですが、全て週1回の教室なんです。交流を目的とした教室が多いんですね。
 先ほどの例にもあるように、外国人は生活の中で毎日、日本語のシャワーを浴びているので、教室に来た時は、聞きたいことがたくさんあるんですよね。それが週1回だと、うまくボランティアさんに吸い上げてもらえなかったり、もどかしさがあると思うんです。かといって、サークル内では、週1という決まりがある中で、個人的な特別扱いはできないし。それで、サークル内で同じ志を持つ有志ボランティア4人で、新しい教室をつくろうということになりました。

 ――週3回の教室。学習を希望する外国人の方にはどのように知らせているのですか。また、市内には、60カ国以上の外国人が在住していると聞きます。どのように教えているのですか。PR方法は?

 市役所で外国人登録の手続きするときに、日本語教室案内のチラシを渡してもらったり、ホームページで紹介しています。今は、フィリピン、南アフリカ、中国、韓国人の16人が教室に通ってきています。16歳から30歳代くらいの比較的若い人たちで、親に連れられてとか、仕事で転勤してきた人たちが多いですね。
 日本語を教えるには、相手の国の言葉を使う場合と日本語を日本語で教える場合があるのですが、私たちの教室は、後者です。うちのスタッフは、日本語教師の資格を持ち教育をされているので、それができるんです。日本語を全く知らずに来る外国人も結構いますので、レベルごとに3つのクラスに分けています。
 最初のクラスは、ひらがなとカタカナを1カ月みっちりやります。その場合は、英語などを使うこともありますが。あと、日本語を教えるのって、研修費やら、教材費とかとてもお金がかかるので、「とびら」は、1カ月2000円学習者に負担してもらっています。2冊の本を終了して、筆記、会話、作文のテストに合格したら卒業です。1年間のカリキュラム。そのときには、誘いを断ったり、いやな気持を伝えられたりできるようになります。

日本語教師は「映画俳優」
猿年の私は、得意ですけど(笑)

 ――教育されているとはいえ、日本語を日本語で教えるのは難しそうですね。飯塚さんは「とびら」と「田無国際交流サークル」双方で教えていらっしゃるのですよね。

 私は「とびら」では後継者育成という点からもフリーの状態です。3人のスタッフにクラスを任せています。この3つのクラスのほかにもうちでは、もっと勉強したい人のための会話、作文指導も土曜日にやっているのですが、そちらでは、教えています。
 田無国際交流サークルでは、代表を退き、いちボランティアとして、週1回教えています。確かに、日本語を教えるのって技術がいるんですよね。授業では、テキストを中心に絵を使ったり、ジェスチャーを交えたり、迫真の演技が必要だったり、日本語教師って映画俳優になれないといけないんですよ。

 ――映画俳優にですか。

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 日本語教師は、人前で芸ができたり、歌が歌えないとできないと教わりました。ボディーランゲージで分かってもらう部分が多いのです。
 例えば、「どうしたんですか?」というフレーズを教えたいとき、朝から憂鬱な顔をして教室に入ります。生徒に何か聞かれても、答えないで沈んだ顔をしていると、どうしますか?どうした?どんなですか?とさまざま学習者たちは聞いてきます。そこで、今日のテーマ「どうしたんですか?」を分からせるんです。

 ――誰にでもできることではないですよね。もとからそういう性格だとか。

 昔から人に教えるということには抵抗がなかったです。「ひとまねこざる」って本をご存知ですか。私も同じで、知りたがりや、やりたがりやなんです。おまけに猿年ですし(笑)。
 子どものころは、紙芝居や腹話術に興味があってまねしてやっていましたよ。今は、料理はなんでも見よう見まねでチャレンジしますし、布製バックとか気に入ったものがあると、丁寧に見て同じものを作りますよ。何でも自分でできるんじゃないかなと思っちゃうんですよね。

 ――ひとまねこざるは、映画俳優になるんでしたよね。ところで、先ほど、市内にはほかに7つの日本語教室があるというお話でしたが、それぞれ連携はとっているのですか。

 残念なのですが、なかなか連携プレーがとれていない状況です。それぞれの教室で何を学習しているかなど情報共有がないので、何カ所かの教室に通っている学習者は、これは昨日あそこの教室でやったのだけどなと、ジレンマに感じているようです。
 あと、連携プレーと言えば、私たちの教室、最近ミニ日本語学校になってきちゃったね、とスタッフと話しているんです。カリキュラムどおり、スタッフ間の連携プレー、申し送りですね。きちんとやっているのですが、学習者にしてみると、もっと会話をしたいのですよね。それが、時間がないから今日はこれで終わり、みたいになっちゃうので。課題かなと思ってます。

 ――外国人の方は言葉の壁を乗り越えて、ここでの生活に早く馴染んでいきたいと思っているわけですよね。そうすると、受け入れ側の私たちにも歩み寄りが必要ですね。

 そうですね。日本の方は、郷に入れば郷に従えという考えがすごく強いんですよね。私は当然のことだとは思うんですけど、その前に相手の育ってきた環境を少し理解したうえで、ここは日本なのよって教えてほしいなあと思います。

時には厳しいこともぴしゃりと。
それが彼ら・彼女たちのためですから

 ――20年間、ボランティアとして国際交流をされてきたわけですが、振り返ってみて感じることは。

 あっと言う間でしたね。雨の日も風の日もよく続いたものだと思いますよ。でも続けてこられたのは、やっぱり人が好き。人とふれあうことが好きなんだと思います。
 ボランティアをはじめたときは、正直、相手をかわいそうな人たちという目でみていたと思います。それが、いつか変わっていったんです。こちらが誠意を示せば、相手も答えてくれることが分かったんです。逆に助けられることもあって。
 私が病気をしたことがあったのですが、学習者が「神様はいやなことも人間に与えるけど、こうしたらいいという道も与えてくれるよ」と励ましてくれたんです。聖書の言葉なんですけど。無宗教の私にとっては、新鮮な驚きがありました。まあ、歳ですから、いつまでできるかなあなんて思いながらやっていますけどね(笑)。

 ――とても年齢には見えませんよ。

 もし、そう思っていただけるのでしたら、それは、外国人の方とこうして一緒に生きているからじゃないかと思います。
 でも、優しいだけじゃなく、厳しいことも言うんですよ。留学生とか観光でいらしている方には、どうぞ日本を楽しんでいってお帰りくださいって感じなんですが、ここで根をおろして子育てをしていこうっていう外国の方には特に。

 ――厳しいことを言うってどんなことですか。

 まず、時間を守りなさい。5分前には行きなさいとか、メールだけでなく言葉でお礼を言いなさいとか、お店でのマナーですよね。商品を見てもぐちゃぐちゃにしたままにしないで、ある程度整理をするとか、お姑さんと同居の場合など特にですが、肘をついて食事をすることはよくないとか。ヘルパーの仕事をしたときによくあるトラブルは、断らないでどこでも開けちゃう。文化の違いなんですけどね。でも、日本でずっと生きていくのであれば守らなければならないことは厳しく言ってきたし、これからもそうするつもりです。

 ――今後やりたいことなど教えてくだい。

 そうですね。「とびら」の教室では、もっと会話をしたいと希望する学習者が多いので、今年度から月1回フリーの授業を設けようと、スタッフのなかで話し合っています。教科書を離れたものです。
 今思うと、長年サークルを続ける中では、仲間内でそこまでボランティアしなければいけないのか、という声もありました。でも日本で外国人をサポートするのに、彼らが抱える問題を知らなければ、生きた日本語は教えられないんです。
 この市内にも、外国人籍の方が年々増えてきています。繰り返しになりますけど、ここでずっと生活をしていこうとする外国の方には、これからも厳しいことも言うし、抱きしめるほどかばってあげたいし、守ってあげたいと思っています。それが、私たち日本語支援者の役割だと思うんですね。


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