市あげて事業化、式典や特別展など
6月11日㈫に、清瀬駅が開業100周年を迎える。それに向け清瀬市では、精力的な「100周年事業」を展開している。そこにある思いとは何なのか。「事業」を追った。
鉄道開通から9年遅れて駅誕生
清瀬駅の開業は1924(大正13)年6月11日。当時は現在の西武池袋線の前身となる武蔵野鉄道だった。同鉄道の開通は1915(大正4)年4月15日のことで、およそ9年遅れての駅開設となった。村の有力者の協力で駅敷地の寄付があったとのことで、やはり地元の悲願であったのだろう。
その100周年を祝う催しが、今年、同市で多彩に実施されている。例えば、こんな具合だ。
▼1月=市役所と清瀬駅南口・北口に開業日の6月11日までのカウントボードを設置
▼3月3日、「100日前イベント」を実施。職員証のストラップを記念の特別仕様に変更
▼4月27日、「清瀬駅開業100周年記念事業実行委員会」の小林純也委員長がデザインした西武鉄道復刻ラッピング車両運行(ヒマワリをイメージしたデザイン)=下写真
さらに、今後の予定として、
▼6月9日㈰、清瀬けやきホールにて「清瀬駅開業100周年記念式典」(※入場申込はすでに締め切っている)
▼6月9日㈰~9月1日㈰、同市郷土博物館にて特別展「清瀬駅100年の物語~駅とともに歩んだマチ清瀬~」(※期間中、記念講演会、オリジナル缶バッジ体験、映画上映会なども実施)
▼6月11日㈫~、記念乗車券販売(3000セット、1500円)、「よしもとカレー『東京都清瀬のたっぷりスイートコーン編』」(594円、9日に先行販売あり)
関連イベントとして、多摩六都科学館とのコラボ企画なども予定されている。
駅あっての町の発展
これだけ企画が目白押しとなると、「全市挙げて」といった文言が頭をよぎる。実際、これだけ力を入れて一駅の節目を祝うというのは、首都圏ではあまり聞かない。現に、同じタイミングでひばりヶ丘駅も100周年となるのだが、こちらでは6月8日㈯に南口駅前広場で1時間ほどのイベントが開かれる程度だ(午前11時~、トークセッションなど)。
では、なぜ清瀬市はここまで清瀬駅100周年を祝うのだろうか。
同市の担当部署を直撃すると「清瀬市の今日の発展には、清瀬駅の存在が欠かせなかった」との回答が。その真意は、郷土史を探ることで見えてきた。
病院、そして住宅地へ
100年前の開業時、村の総戸数は500戸。そのうち362戸が農家だった。そのような村では鉄道利用者は少なく、一日の乗降客数は昭和初年まで数十人に過ぎなかった。
転機の一つは、清瀬病院(現・東京病院)が1931(昭和6)年に開院したこと。結核治療の最前線の地となり、見舞客らの往来が急増した。一日平均の乗降客数は、昭和10年=286人、20年=2300人、25年=4600人と増え続けていく。
ちなみに、戦後しばらくは、農村に食料を求めに来る乗降客も多かった。このとき、清瀬の食糧増産に寄与したものに、東京都の糞尿処理用に設けられた大溜がある。専用線路が清瀬駅から引かれ、タンク車で日に3往復することもあった。溜まった糞尿は肥料として農家から重宝されたが、そのニオイは一時期、〝清瀬の名物〟でもあった。
30年代以降になると、急速に都市化が進み、現在の住宅都市としての清瀬が形成されていく。言うまでもなく都心へのベッドタウンとしての発展であり、清瀬駅なくしてそれは叶わなかった。
なお、現在の一日の平均乗降客数は5万8830人にのぼっている(2022年度)。
※100周年記念事業の詳細は市ホームページ参照を。電話は同市シティプロモーション課(☎042・497・1808)へ。