体験者として「語るしかない」 長崎での被爆体験の語り部  田中美光さん(小平市在住)

長崎市の高射砲隊にいた18歳のときに被爆したという田中美光さん。大分県や同県杵築市の教育委員会などに勤め、さまざまな場面で、被爆体験を語ってきました。

6年ほど前に縁あって小平市に移り住みましたが、今なお、特に子どもたちに向けて被爆体験を語り続けています。

 

一瞬で見渡す限り茶色に……

1945年8月9日。強烈な閃光は、閉じた目にも真っ黄色に飛び込んできたといいます。

金比羅山中腹の高射砲陣地。

山陰に身を伏せましたが、数メートル先の側溝まで吹き飛ばされました。

「大丈夫か!?」

声を掛けられ周りを見渡して最初に思ったのは、「目をやられた!」というもの。山林にいたはずだったのに、見渡す限りの光景が茶色に変わっていました。

 

壮絶な光景

「まさか原子爆弾だなんてそのときは知りません。一瞬にして緑が消えた世界を見て、自分の目がおかしくなったのだと思いました」

そう振り返る田中さん。そこから先の世界は壮絶だったといいます。

「水をください」とすがってくる子どもたち。

重度のやけどで焼けただれた皮膚からは体内の水分が噴き出たといわれ、トラックで死者を運ぶと、「死人の場所はない! 負傷者を連れてこい!」と怒鳴られもしました。

「絶望的な異常な状況の中だから、飛び交う言葉も異常なものばかりです。その異常な言葉の数々は、胸の中から消えることがありません」

 

90歳を過ぎてなお

2年前の戦後70年を迎えた頃から、胸に残る言葉を詩でまとめるようになりました。被爆体験者として、資料を一つでも多く残しておきたいという思いもあります。

「残された時間はそう長くはありません。いま、語り継ぎの活動が始まっていますが、やはり体験者にしか語れないことがある。

私も10月で91歳。家では酸素を手放せない体ですが、招かれればどこへでも出かけます。

あの事実を、僕らが語らないでだれが話せるのですか」

より深い語りをするために、今なお資料集めに余念がありません。肺化膿症の体を押し、今日も胸によみがえる言葉をノートに綴ります。

◆たなか・よしみつ
小平市原爆被爆者の会会員。被爆後1年近く病床に伏せ、原因不明の発熱に苦しんだが、奇跡的に治癒。その後、体験を語り続けています。

 

語りの会

田中さんの語りが、19日午後3時から4時30分まで、同市中央公民館で行われます。無料、予約不要。詳しくは同市教育委員会地域学習支援課(042・346・9834)へ。

(※編集部注 イベントは終了していますが、地域情報として掲載を継続しています)

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