中里の富士塚(清瀬)

清瀬市郷土博物館から北に400メートルほどの住宅地に突如現れるのが、中里富士ともいわれる「中里の富士塚」です。

文字通り「富士山」に似せて作られた塚(小山)で、直径は約15メートル、その高さは、約9メートルです。実際に登れば、若い人なら1分程度で登頂できる規模です。

まずは、富士塚の様子を動画でご確認ください。

動画(42秒)

 

「塚」ができた理由

なぜこのような塚がわざわざ作られたのでしょうか?

作ったのは、丸嘉講武州田無組中里講社。文政8年(1825年)に築かれたとみられています。

古来、富士山崇拝という山岳信仰があり、特に江戸時代中期に「富士講」として広まりました。各地域でリーダー(先達)を決め、その統率のもと、白衣を着、金剛杖を持ち、鈴を振って般若心経などを唱えながら富士山に登ります。富士山と一体となること、修業を積むことなどが登山の目的です。

そうした講は各地にでき、江戸後期にはいわゆる「富士の八百八講」といわれるまでに江戸中に広まりました。

前述した丸嘉講武州田無組中里講社はその一つで、起源を伝える記録によると、享保18年(1733年)に結成されています。武蔵野地域では、かなり早い結成でした。

彼らは霊峰・富士を信奉したわけですが、現代でさえ気軽には登れない富士山のこと、当時は、危険と困難に満ちたものでした。

そこで、富士山を身近にしようとしたのが富士塚です。この中里の富士講には、清瀬のみならず、田無や東久留米、所沢、新座のあたりからも人々が参加しています。

 

本物の富士山のように

この富士塚の興味深いところは、ただ形状を富士山に似せたというのではなく、塚を「富士山そのもの」として模しているところです。

塚に向かって鳥居があることは、塚自体が霊峰として崇められていることを能弁に物語ります。
塚には頂上までのつづら折りの登山道があり、その途中には、5合目、7合目、9合目など、頂上までの距離を示す合目石も置かれています。

さらに頂上には、富士山頂の浅間大社奥宮を模した小さな祠もあります。

平地に目を転じると、富士講の往路で詣でる「高尾山阿闍梨明王」(高尾山)の碑と、復路に詣でる「道了大薩埵」(大雄山最乗寺)の碑があり、念が入っています。
今では閉鎖されていますが、塚の西側には風穴に模した横穴も掘られていたとのことです。
富士山を完全に再現しようという執念すら感じます。

 

9月1日の「火の花祭り」

富士山にあやかろうとする中里の富士塚では、例年8月26日、27日に開かれる鎮火大祭、すなわち「吉田の火祭り」に倣い、9月1日に「火の花祭り」も行われています。

富士講の姿となる白の浄衣に数珠を掛けた格好で塚を登り、山頂で儀式を行うものです。
その間、塚のつづら折りの登山道に篠竹に指したロウソクが108本立てられ、神妙な雰囲気に包まれます。

クライマックスは午後9時頃からのお焚き上げ。円錐形の山のように積み上げられた麦わらを燃やし、お祓いをするもので、その灰には火災除け、魔除け、さらに、畑にまくと豊作になるご利益があると信じられています。祭りの後には、灰を拾う人々の姿も見られます。
盛大に続けられるこの祭りは、近隣にはないもので、東京都無形民俗文化財に指定されています。

吉田の火祭りに倣って例年9月に行われる「火の花祭り」の様子(清瀬市ホームページより転載)

人々の思いが詰まっている

それにしても、なぜ富士塚がこの場所にあり、今日まで伝統が受け継がれているのでしょうか。

段丘の中途にあるこの富士塚は、登頂してもさして眺めが良いわけでもなく、その点、富士山の再現としては不完全に思えます。

考えられるのは、一つは、土質です。多くの富士塚では富士山の溶岩である黒ボク石が用いられているのに対し、中里の富士塚は、赤土のみで固められています。武蔵野らしい富士塚で、あるいは段丘の中途に作ったのには、風雨によって土が流れ出るのを防ぐ狙いがあったのかもしれません。

理由は定かではありませんが、明治7年(1874年)には2メートルほど盛土をしていることが分かっています。長い歳月のなかで高さが減り、それを補ったのかもしれません。

また、もう一つ、別の視点で見ると、あえて分かりにくい場所に作られたということも考えられます。
少し離れて、日枝神社や東光院といった目印になる寺社はありますが、街道が近いわけでもなく、当時は恐らく、気軽に来られる場所ではなかったことでしょう。

その行きにくさこそが、「富士山」として必要な要素だったのではないでしょうか。

ともあれ、記録には、塚を取り囲む木々が人々の寄進によるものと残されています。塚だけでなく、石碑、草木に至るまで、ここでは目に入るすべてのものが人々によって今日に形作られてきたものです。

その時代、時代に生きた人々の思いを、ここほど感じられる場所はないかもしれません。
関係資料も含めて、中里の富士塚は東京都の有形民俗文化財に指定されています。

なお、火の花祭りの様子などは、徒歩5分ほどにある清瀬市郷土博物館でも映像が見られます。

データ

中里の富士塚

◎清瀬市中里3丁目991-1
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