2018.04.05

地域ゆかりの文人画家 坪内節太郎展 銀座で9日から

没後38年にして銀座で個展開催――晩年を西東京市(当時の保谷市)で暮らした画家・坪内節太郎の絵画作品を集めた展覧会が、9日から14日(金)まで開かれる。作品を所有する画廊による主催で、長女ののり子さんは「東京では13年ぶりの開催。作品を見てもらえる機会ができてうれしい」と喜んでいる。

 

坪内節太郎(1905〜1979)は、油彩を中心に、水墨淡彩、水彩などを手掛けた洋画家。洋画の技術を駆使しながら、わび・さびを感じさせる日本風の作品を数多く残した。

 

その活動は多彩で、雑誌では松本清張や小島信夫の連載の挿絵を担当。エッセーなども執筆し、『絵画人情』『歌舞伎画帖』『水墨画入門』などの著書も残している。

 

岐阜県各務原市の出身で、生涯を通して岐阜との関わりを持ったことから、当地では郷土画家としてよく知られている。岐阜日日新聞社主催の賞を受賞したほか、近年でも、去年、今年と作品展が開かれている。

 

そんな節太郎が戦後に上京したのは54歳のとき。活動の幅を広げるためで、63年には自由学園にほど近い当時の保谷市に住まいを求め、74歳で他界するまで暮らした。

 

保谷市をはじめ、この地域とのかかわりは深くは持たなかったが、エッセーなどでは、文末に「保谷居にて」と記しており、土地に愛着を持っていたことをうかがわせる。近所の雑木林をよく歩いていたそうで、長女ののり子さんは、「父にとって、制作にとても良い場所だった」と振り返る。

 

「常に絵筆を手にしている人で、身近な花や鳥、静物などを何でも描いていました。秋に雑木林にいろいろな実がなるのを『木の実まつり』と呼んで、次々とスケッチしていました」

 

スケッチ帳をめくると、絵とともに「保谷居は秋の木の実のいままつり」の句が残る。

 

9日からの「坪内節太郎展」は、愛知県にある「名古屋画廊」が主催。2014年に同画廊で開催された「生誕110年展」の際にのり子さんが「いつか東京でも……」とつぶやいたのがきっかけで実現となった。

 

会場は「ギャラリー惣(そう)」(中央区銀座7の11の6 徳島新聞ビル3階、<03・6228・5507)。油彩など約20点を展示予定。9日と14日は、のり子さんが終日在廊する。午前11時から午後6時30分(14日は4時30分)まで。

 

坪内節太郎 1905(明治38)年、岐阜県各務原市生まれ。独立美術協会賞、岐阜日日賞教育文化賞など受賞。雑誌への挿絵多数。愛好家の間では、文楽や歌舞伎のスケッチ画がよく知られている。エッセーなども残したことから「文人画家」とも評されている。

 

坪内のり子さん